まずはバスで如意輪寺へ。
南北朝時代ですよー(笑)
習ったよね、たぶん。
ちなみに私は新太平記四巻に入ったとこなのでまだそこまでいってないです(笑)
足利が親王をたてた京都の朝廷と、ここ吉野の朝廷と皇室。
京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名。
最後まで京都に帰りたかったんやなぁ…
あ、そうそう。今年は
後醍醐天皇御即位700年!!なのですぞ!
四條畷神社にもあったね。
先帝後醍醐天皇陵に参拝し、如意輪堂に詣で、各々髪を切って佛前に奉納、過去帳に姓名を書き連ね、正行公は堂の扉に鏃を以って、
「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」
と辞世の歌を書き残し、その日吉野山を出陣。四條畷へ向かう。引連れた主な家来143名であった。(如意輪寺HPより)
「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」
と辞世の歌を書き残し、その日吉野山を出陣。四條畷へ向かう。引連れた主な家来143名であった。(如意輪寺HPより)
なんと。この宝物殿にはこの辞世の扉が残ってます。
その他にも後醍醐天皇の硯箱とか、正行の短刀とか馬の鞍とか鎧とか…
後に吉野には秀吉が何度も花見にくるので、秀吉花見和歌集とか、かなり見応えのある宝物殿です。
さて、いつまでもここにいたら、五條管領との待ち合わせまでに戻れないので、次に移動。
この時バスを降りた側の山門から出れば車道沿に移動できたのに、何を思ったかもう一つの山門から出た私(笑)
でも、後から、実際に後醍醐天皇が通られた道と知りました。
かなり不安になりながら歩いてたけどこっちきてよかった(笑)
もともと相当な方向音痴だから
ここ最近はどこいくのもGoogleマップ頼りだったから。
電波も薄いし(笑)
自分がいる場所として、Googleマップ上にポイントが出た場所に一切の道がないのった時はビビったけどさ。
さて!ここから結構歩いて
中千本のバス停あたりを目指します。
つづく!