こんにちは〜



「選択」って

右に行くか、左に行くか
とか

ケーキを食べるか、饅頭を食べるか
とか

ちょっと大きめ選択だと
好きな人に告白するか、しないか
とか、

もう少し大きくなると
今の仕事を続けるか、辞めるか
とか

も宇ちょっと大きなことだと、
病気になって、
医療の力を借りるか、自己治癒力を高めるか
とか

小さなことから大きなものまで
いろんな選択を数え切れないほど重ねている。。


選択の中で、きっと
常識的なほうとか、
多数を占めてるほうとか
可能性が大きいほうとかを選ぶことが殆どだと思う。。


非常識なほうとか、
少数派のほうとか、
可能性除外で好きなほうを選んだりしたことの方が、
「選択をした」というイメージがあるけど、


最初の
常識的、多数、可能性を選んだ方も
「選択した」ことには変わりない。


なぜ、イメージが違うんだろうと思ったとき、



常識に委ねてる、
多数に委ねてる、
可能性に委ねてる。

自身に委ねた割合が
かなり低いのではなかろうかと。。


真逆の
非常識や少数、可能性除外を選んだとき
委ねたのは自身の「声」


どちらが良いとか悪いとかじゃなくて

常識や多数や可能性の方を選ぶときも
自身の「声」なら
それは、イメージが変わるほどの未来が見えてくるはず。。





なら、、
その「声」が自身の声かどうかがの判断は…



もし、望む未来が来なかったとき
それでも、誰かのせいにせず、
その選択をした自分に笑って誇りをもてるか


かなぁ、、。