先日、テレビ放送していた『マスカレード・ホテル』を見逃したので、

アマゾンで見ました👀



 

食いしん坊なので、『グランメゾン東京』もなるべく欠かさず見ていましたが

木村拓哉さんのお芝居がほんとうに良くて

 

演技に関して「良い」というのはどういう意味なのか

自分なりに解釈してみたんですが、

「良い」=「流れが良い」ということみたいです。

 

それで、昨晩も新しいアマゾンプライムビデオの映画リストをチェックして

(いつ見れるかはなぞではありますが真顔

マイリストを更新してましたら、

日本のドラマ部門で『名探偵キャサリン』シャーロット・ケイト・フォックスちゃん版があったので、

布団のなかで見ておりました👀

 

シャーロットさんは、ご縁あって

一度楽屋でご挨拶させて頂いたこともあるんですが、

ほんとうに彼女のお芝居が好きでラブ

(とはいえ、『マッサン』を欠かさず見ていたわけではありません。。。ショック


なんで好きなのかというと、

ほんとうに流れるように芝居をするからなんです。

 

流れるのは、

役の気持ち、心、命。

 

私の感覚論になっちゃうけど、日本の演技ってどちらかというと、「流れる」というより

「決める」といった感じなんですよね。

日本独自のお芝居の原点とか歌舞伎とかそういったもののことを考えると

そうならざるを得ないんだろうなという気もしますが。

 

例えば、

「振られちゃった(明るく)」

というセリフがあったとすると、

もう私の頭の中には、大抵こういう表現で読まれるだろうな真顔という型ができあがってるのです。


でも、それをまったく予想のつかない読み方、

芝居をする人の方が

私の好みだという話です。

 

シャーロットさんの演技を見ると

新鮮で、嘘が無くて、生きてるんです。


紙に書いてある台詞を

生きた言葉にするってほんとうに難しい。

それは、アメリカでも日本でも。


自分でやってみたから分かるし、

人がやってみようとするところも見てきたから分かる。


彼女は、アメリカ人なのに、日本語でお芝居をしている。

これってむちゃくちゃハードル高いことだけど、見ていてまったく違和感がないのは、

それは彼女がセリフ云々の前に気持ちの流れを大切にしているからだと見ていて伝わるのです。

 

例えば、日本の歴史ある新劇の演劇研究所に勉強しにいけば、

セリフが相手の耳に届かないと怒られます。

日本では、はっきりと明瞭に発音することが求められるけど、

アメリカ人の演出家さんのワークショップに参加した時には、

「セリフが観客に届かなくてもいい。大切なのは相手役に伝えることだ」と教わりました。

 日本と比べて、アメリカでは

相手と自分とのコミュニケーションや空気感を観客が感じ取ることを大切にしてるからだと思うのですが。




 

『マスカレード・ホテル』の話に戻ります。

最初に木村さんの話を出したのは、

木村さんのお芝居にもシャーロットさんと

まったく同じ流れの良さを感じるのです。


それは、

このセリフをどう言おうとか、どういう表情をしようとかの前の段階、というか

一歩先の段階を踏んでるお芝居。


更に言えば、

私は日本の女優さんの中で松たか子さんが一番好きなのですが、

松さんに至っては、日本の「セリフを明瞭に届けなければならない」お芝居

「流れを大切にしたお芝居」が融合している本当に素晴らしい女優さんだと思っていて。

『マスカレード・ホテル』では

やっぱり木村さんと松さんのこのHEROコンビが最高の瞬間を作っているなと思ったのでした。


もっとこれからも、

木村さんやシャーロットさんのようなお芝居する新しい才能をたくさん見たいな✨