せっせと、プレゼントラッピングを行いました。
来たる4月1日は、私の自営2歳の、お誕生日。
プレゼントの用意も2回目になりました。
でも、経営者は、プレゼントなぞもらえるわけもなく、
なぜか、私があげる方。
すりきれ生活のなか、袋買いしたものを、ちまちま小分けし、
それなりに見えるように、つくろいます笑。
でも、2回とも思ったのですが、
なんだか、マイ儀式のような気もちになれます。
ああ、2年間、生きのびれたな、とか、
この子たちが、ずっと、私と一緒に歩いてくれたからだな。とか。
実は、私の前からもうすぐ去ってしまう子がいるのですが、
せこい私は、予算がないからといって、
その子のプレゼントは用意しなくてもいっかな、と思っていました。
というより、あげようかと迷ったものの、切り詰めたい思いのほうを優先しました。
そんななか、突然、その子が、
お客さんを紹介しに、私のもとに、わざわざやってきたのです。
そのとき、その子は、とっても笑顔でした。
「最後に、私からのプレゼントです!」と、言いたげでした。
来年生きのびられるか不安な私の心は、一気にぱあっとあかるくなりましたが、
はっとしました。
私が良かったから、その子は無償の愛で私に紹介をもたらしてくれたのに、
私は、何を、自分の財布の寂しさを理由に、
ケチくさいことを考えてしまったのだろうと、かなり、へこみました。
たかがそんな小さいプレゼントのために。
マイ儀式をしながら、思うことのなかに、
この子たちへの感謝があるのです。
私は、お勉強もそれなりにできたし、仕事もバリバリやった。
業績もよかったし、多少友達が少なくても自立心は旺盛だし、
生きていくうえで、自分はそれなりにやっていけると思っていました。
でも、この子たちの存在によって、この2年、私が直面したことは、
私の、世界への愛が、とても足りないという、重大な欠点でした。
この現実は、人生かつてないほど、私の軸をぐらつかせ、
たかが私を受け入れてくれたことくらいで、もろくなって泣いたことが何度もあります。
人って、そんなに鬼ばかりではないし、
しっかり向き合えば、愛をもって会話ができる。
それを、私に教えるために、彼らは私の前に現れてくれたのです。
この子たちがいなかったら、私、世界への愛も知らずに
生きていったのではないかと思ってしまいます。
それだけ、この子たちには、私はとても感謝をしていて、
これは、毎年自己を振り返る、とても重要な儀式としていきたいと思うのです。
財布が心配と言っているかたわら、
まわらなくなってしまい、ヘルパーの増員をします。
ニトリで1490円。
いくら安く調達できるか。またまた、ここでも発揮してしまいました。