愛する旦那さまと2人でお店を営む、とってもかわいらしい女の子に出会った。
たぶん、遠いところから、旦那さまのいるこの田舎に、嫁いでこられたのであろう。
学生のころ、私には珍しく、濃い仲の友達ができて、その子が言っていた今でもたまに思い出すことば。
「彼には、ずっと、つきあってる子がいたん。
でも、その子は、彼と一緒に沖縄に行かんかった。
私は、あなたの夢を応援したいから、一緒に行くよ、と言った。
だから、私は彼と結婚できたん。
私が一緒に行くよ、と言ったから。」
彼女は、今では超有名、サイなんとかという会社に内定もらったばかりだったが、
すぐに、彼のもとへと飛んでいって結婚した。
私が彼女にひかれた理由は、私とは逆で、
自分の気もちにまっすぐなところだったんだけど・・・。
女の子というものは、こうでなければ愛する人と一緒に幸せにはなれないのだろう。
さて、自分の場合はどうだろう。
愛する人が、たとえば、東京にいるとして、
でも私には、この1年、超不況下のなか、何度も泣きを見、人生でもっともといえるくらいに耐え、もがき、
苦しんで、今、なんとか、立ち上がってきた、私の努力の結晶があり、
やはり、私は、愛する人と幸せになるには、
この努力の結晶を捨てて、彼のところに行くことをしなければいけないのか。
それが、きっと、俗に言う「女の子」の行動なのだとしたら、
自分の努力の結晶を捨てられない私は、頑固じじいみたいに頑固だといわれ、
男みたいだといわれ、
そこでも泣きをみるのか。
そういえば、私、
好きな人が遠くの人だと知って「私も一緒にそこへ行こう」と思ったことってなくて、
何かしら、ここで成し遂げてきたいろんな自分の努力の結晶にしがみつき、守ろうとし、
じゃあ、残念だけど、この人とはご縁がなかったのね、と、なぜかそちらをあきらめてしまい、
結局、愛より自分をとる人間なのだ。
ふう、書いててなさけない。
私、自分ひとりでは何もできない子なら、よかった。
なんとか自分でやってのけようとするから、いけない。
努力の結晶なんて、つくる能がなければ守る必要もないのに。と
また、自虐。