
もうひと昔前の若かりし頃 私はマスコミ TVの仕事をしていました。
そして
阪神大震災の 現地取材レポートの仕事をしました。
女性インタビュアーの声の方が被災地に暮らす人達に柔らかく聞こえるだろう といった理由でした。
番組タイトルは「がんばろう神戸」
がんばれ~でなく がんばろう~だったことに
当時なぜか心を動かされたのを覚えています。
まだ経験も浅く若かった私にとって
あんなに沢山の悲しみを一度に見たのは 生まれて初めてのことでした。
全てを失ったり 家族を亡くしたり…
瓦礫の山、ライフラインは遮断されたまま、
普通に当たり前の生活をすることが難しい状況が長引いていました。
これが被災地の実態なのかと その衝撃は大きすぎました。
そんな中 グランドで高校球児らしき男の子が キャッチボールを始めました。
この状況で 不思議な絵面でした。
もちろん カメラマンは 追っかけました。
話を聞きに行くと、
その高校生が言った言葉は
「 僕たちは 甲子園を目指す。
頑張ってる姿を見せることができれば、
きっと神戸の人達を元気にできる。
希望をもってもらえる。
だから 甲子園に行くんだ。」
なんともいえない感情がわきたちました。
そのうち 野球部員らしき男の子達が 少しずつ増えていって 野球の練習が形になっていきました。
次の世代を担う若者のパワーを感じました。
港へ行くと 船を出そうとしている人達がいました。
「神戸は港町 海の恩恵を受けてきた。
このまま朽ち果てさせるわけにはいかない。
次の世代に繋ぐためにも 船を動かすことが
今 俺たちができる唯一のことだから…」
そう語ってくれました。
みなと神戸を守ろうとする人達でした。
インタビューを撮り終えると、 女性の私は毎回一人で帰されます。
電気も水も通っていないため、部外者が避難所のトイレを使うことさえ迷惑です。
陽が落ちる前に 電車が動いている駅までの遥かな道のりを歩かなくてはなりません。
普通なら怖いはずですが…
全く恐怖感を抱くことはありませんでた。
なぜなら 一人ではなかったから。
ものすごい数の人達が、みんな同じ方向 大阪方面に向かって 遮断された国道をぬいながら長い長い距離を行列をなして歩いているのです。
見たことのない光景でした。
きっと みんな大変な思いをしてきたはずなのに、
表情は暗くはありませんでした。
ちゃんと前を向いて 何かあれば声をかけあって同じ歩調で ずっと ずっと 歩いていきます。
それをツライとは感じませんでした。
野球も乗船も大阪に向かって歩くのも、
その他の何であれ
一人では難しくても みんなでならできます。
人が集まり動く場所には エネルギーの渦にが巻き上がります。
みんなの思いをのせて 事態を動かす力になれます。
計り知れない 人間の底力
見たような気がしました。
諦めなければ 道は開ける!
リアルに感じ取れた瞬間でした。
何年もたった今 そんなことを思い出しました。
時代は移り変わっても
苦しい状況にいる人達はいると思います。
私一人の力では 何もできないかもしれませんが、
それでも 心から応援したい気持ちでいっぱいです。
いつも 読んでいただいて ありがとうございます。