こんにちは。

英語コーチの中条香です。

今日もあなたの英語学習をナビゲートします。



私は視覚に障害がありますが、

それはもともと持っていた

目の特性ですので、

視覚障害と知った時

少なからず衝撃を覚えました。



周りの人と見え方が違っていたとは!



という感じです。



ただ、それにより

自己理解ができて、

助かったことも沢山ありますし、

また、周りの人に説明がしやすくなったこともあります。



しかしながら、

どこかで

自分の目を障害という一言で

説明することに若干の違和感を持ちました。



障害って言葉の響きでしょうね。



話は変わりますが、

私は前職で多くの発達障がいの子どもたちに

出会ってきました。



関わるにつれて、

発達障がいの子と

普通の子の境目がわからなくなることがありました。



発達障がいの子たちは、彼らの見方で

世界を捉えていて、

それは独特なものであることが少なくありませんでした。



しかし、彼らの見方に立ち、

物事を捉えると、

なるほど、そう感じるなら、

そこは怒るとこだよね

と納得することが増えてきました。



天才ステーブジョブズもそうだったとか

噂を聞いたことがあります。 


そういった独特の特性を持つ彼らが

世界を変える発明、発見をしたり、

新たな視点で世の中を引っ張っていく現実を

思うと

障がいがあるとかないとかは、

どちらでも良くなっていきませんか?



また、私は子どもが好きなので、

困っているなら、

助けたいと思っていただけで、

障がいがあるかどうかは

無関係でもありました。


だから、障がいがあるからといって、

それが何なのかとも思います。 さらに、

発達障がいだからしょうがないと

片付けるのも違うと思っています。


なんでも発達障がいのせいにして、

自分で頑張ったり、

生きやすい環境を手に入れる努力を怠ったり、

それを放棄してしまうと、

自分の可能性が閉ざされてしまいます。



私は視覚障害がありますが、

それがあるおかげで

豊かな音の世界に生きていますし、



また、

英語の勉強においては、

工夫をして、

特に読み書き以外の学習は

ユニークな方法を選び、

今があります。



貧血持ちだから、

栄養療法にも詳しくなりましたし、



子どもが牛乳、小麦粉アレルギーだった時期が

ありましたので、

豆乳、米粉を使ったレシピを探して、

子どもを喜ばせていました。



だから、何にでも抜け道はあると思うのです。





困っている人が

何に困っているかを自分で言葉にできて、

また、それをそばで聞いてくれる人がいて、

助けようとする余裕を持てるなら、


つまり、

そんな対話ができれば、

障がいなんて名前は究極のところ

不要だと思ってます。



障がいとは、困っていることです。



英語学習に私は困っていました。

今でも困ることはあります。

しかし、それを少しでも困らないようにするには

どうしたら良いかが今は分かっているので、

困っていません。



なので、視覚に障害がありますが、

障害はありません。



そんな風に思える人が1人でも増えればと思います。



今日もお読みくださり、ありがとうございます。