複視の辛さ



こんばんは

COCOAハムスターです


私は3回目の

側頭部からの開頭手術後

複視になりました


あれだけ沢山詰められた

癒着してしまった

テフロンたち…


それをできる限り取り除き

痛みを取り除くのに

致し方無かった事なのかもしれません



こんな厄介な

大変な手術を受けて下さった

医師には、今でも

とても感謝しています照れ




 ~自宅へ~


一ヶ月ほどの実家での静養


何も出来なくてもいいから」

「居るだけでいいから帰ってきて笑い泣き


そんな言葉に応える形で

自宅へと戻りました


家族も限界でした

そりゃ そうだよね…あせる


うちは2世帯同居では有りますが

プライベートは全く別


各々の生活は各々が!

何の為の同居やくるくるオバケ


うちの子供達は、かなり鍛えられたと思います


仕事・家の事・子供のこと

さすがに、もう旦那さんもクタクタえーん



数日は座ってるだけだったけど

そんな訳にはいかないよねー


体力もボチボチ戻り…

でも相変わらずの複視目



あんなに見え方もヘンテコだから

最初は外にも全く出ない


片目だけ閉じて生活すればいいじゃん!って

そんな簡単なものではありません



複視になったのは利き目の右眼

不便で疲れて仕方なかった



晴れた日は

子供に手を引かれ

庭から少しずつお散歩走る人始めました




~今 思い出すこと~


・不自由過ぎる…毎日 泣いていた事


・眠る時、寝室の二重にダブル電気を見て明日には1つに見えるかなぁ…毎日、毎日眺めていた事


・ずっと家… 用も足せず1日過ぎるのが長くて長くて仕方なかった事


・自分にしか分からない…辛くて辛くて、捌け口も無く”鬱”に陥る寸前だった事



こんな日々が何日も続き

子供の用足しや買い物等は友達が快く車車を出してくれたブルーハーツ



子供達の習い事の送迎も

ついでだからおいでと半年以上もお世話になった


御礼をしてもし足りない

心から人の温かさに触れ泣いたえーん



いつもお願いばかりで

自分が心底情けなく

どうしようもないくらい落ち込んだ日々もあったけれど

「自分が元気になったら、今度は困っている人に自分が尽くせばいいんだ!」


そう気持ちを切り替えて

自分を慰めた



医師にも連絡を取っていた

「3か月もしたら良くなるよ!」


3か月経ちました

はい まだ治りませんショボーン

複視のまんま…


半年したら良くなるよ!」

「必ず良くなるからニヤニヤ



自分の事は自分がよく分かります


何となーく、このままになってしまうのではないか?不安でいっぱいになってきました



その頃は片目を閉じて

パソコンに齧り付く毎日ひらめき電球

複視

滑車神経麻痺

動眼神経麻痺

検索パソコン


多くの時間をネット検索に費やしました




そこで自らも髄膜腫で手術後

”複視”になり

その経過

後程お話するプリズムメガネ 

手術に関して

詳しく情報公開している

ある方のブログに辿り着いたのでした爆笑






つづく