ろう文化の出会いまで ~ 過去 ~ | 「かおりんスーパーワールド」From:岡本かおり

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「ろう文化」ってご存知?
うちは、この文化があるということを
5年前くらい(?)から知りました。

「あんさん、ろう者で聾学校出身やのに知らんの?」

って言われても仕方がない。

ろう文化の出会いまで、いろいろ語ってみますわいー


うちの家族は自分以外は聴者。

うちが通ってた聾学校は、口話主義(手話が言語ではない)
発音、口の読み取りの訓練をしていた。

そして、うちの時代の時の
デフファミリー(親がろう者で、子供もろう者)の親は
消極的な方ばかりだった。
そのデフファミリーの親の時代は

「ろう者は恥ずかしい」
「ろう者は可哀想」
「自分はろう者だけど子供は聴者に近づかせたい」


という、劣等的なレッテルが貼られていた。
そのデフファミリーも肩身狭い思いでやってきたと思う。

私も、聾学校にいた時そう思ったし、
自分の親は聴者、まわりも聴者が多かったし
聾学校も、先生は聴者、聴者に近づくように教育されてきた。

その為に、私もそういう風に生きてきた。

もちろん、自分の親も

「聴者なみに育って欲しい」
「聴者に近づいて欲しい」
「聴者なみに聴力をとりもどして欲しい」


誠実な願いでした。

とにかく昔は
「ろう者」という人格??
押さえ込まれていたって言うかな?

もちろん、私も聴者に近づかなきゃって思ったし
親も、聴者に近づくために発音訓練に厳しかったって
言うかうるさかった笑

「聴力がダメなら、補聴器でかすかな聴力で」
「口の読み取りが出来るように」
「声を出して、話しが通じるように」
「声を出す習慣を」
など

なぜなら、社会人になった時に困らない
親がいなくても生きていけるようにという願いでしょう。

しかも、
同じ、ろう者でも

「口の読み取り1番!!」
「発音が一番上手いんだ!!」
「発音下手!!」
「読み取れたけど、読み取れなかったの?」


とか争ってたし・・・笑


とにかく、

「耳が聴こえないから・・・」
「耳が聴こえたら・・・」
「なんで聴こえないの・・・」
「耳が聴こえないから無理」


で、諦めたものもいっぱい。
ネガティブだったね。

先生も「無理」って言うもん。w

「体育の先生になりたい!」
「体育は、事故が起こった時に心臓など、呼吸など確かめる時とかに耳を使うので・・・」

「アイドルになりたい!!」
「耳が聴こえないから無理だよ。」

とかね・・・泣
(今はやろうと思えば出来る!!諦めないことや・・・ちくしょーw)

そして、耳が聴こえないということが
恥ずかしいという思いだったかな?

聴者の前で

「声を出すのが嫌。変な目で見られる」
「キュード使うのいや」
「自分が聴こえないのをバレたくない」
「珍しそうな目で見られたくない」


など・・・
ネガティブだったけど
とにかく、うちは明るかった。ププッ・・・


なぜなら、うちの姉貴(聴者)が
近所の友達にキュードを教えていたのだなっ・・・なんと!

近所の友達は
キュードが出来て当たり前だったので
学校から帰って遊ぶのが、すげー楽しかった。

たくさんの遊びを学んだ・・・。


その遊びを聾学校に持ち出しても
みんな、「知らない・・・」
それが、不思議でたまらなかったな。笑

ほとんどの生徒は、家に帰ってからも
発音練習、近所の友達と遊んでない
という環境が多かった。

その環境を作ってくれた姉貴は
ほんまに、感謝でいっぱい好


つづくあひる


*キュード=キュードスピーチ
発音の発声訓練の為に開発された手話と違うもうひとつのサイン
発音発語、読語の補助手段として、キュードスピーチを使っています。
口形と手の動きで日本語の音を表します。
手の動きは、舌や唇の動き、息の出し方を表しています。