人間版の猿田彦(むろうのご主人)に案内され
龍鎮神社で龍王(龍神)にご挨拶をしたのち
帰りのバスまでの時間、室生寺を回りました。
ここ室生寺で面白かったのは
ドラゴンボールが
宝珠や十二神の神々を
モチーフにしているであろうことがわかったこと
(ここのなのか、薬師寺など、別の十二神像なのかはわからないけど、スーパーサイヤ人の時の髪型がそっくり)
そして本当に大事なものは
人目に触れないように隠されているという事実でした。
室生寺の天神社の拝殿(遥拝所 なのかしら)
すぐ横には
前回お伝えした
龍穴神社の聖域にある
龍を模した縄と同じものが木に吊るしてあります。
写真を撮った時には気づかなくて
家に帰って見返したら
龍の尾に当たる部分だけ
紫色になってる![]()
見えづらいけど、わかるかしら?
そしてこの天神社は
龍穴神社の奥宮、
吉祥龍穴の方角にあり、
ここからちゃんと奥宮、龍神さんを拝めるようになっています。
この小さな赤い祠が天神社
さらにいうと
天神社の向かいには
弥勒菩薩像(弥勒堂)があって
弥勒像が天神社の方角、
つまり龍穴神社の奥宮に向いてる。
その配置が興味深い。
なぜ、弥勒像は龍王の方を向いてるんだろう
その関係性に興味が湧きました。
後から室生寺のHPを見て見ると
元々最初は南向きだったのが
室町時代に現在の東向きに変えられているらしくて、より一層興味が湧きます。
よく写真で見かけますが、
室生寺には小さな五重の塔があります。
法隆寺に次ぐ、古い五重の塔として有名だけど
さらに興味深いのは
このすぐ横のあたりに
如意山があること。
むろうのご主人に教えてもらわなかったら
ここは素通りして
五重の塔だけ見てたかもしれない。
この場所には
本物の宝珠が眠っているというのに。
空海が持って帰ってきた
宝珠。
空海の遺言通りに掘り出したら
発見され、
その後は誰の目に触れることがないように
コンクリートに沈めて
この山のどこかに埋められたんだそう。
物の扱い方を知らない人間、
または良からぬ輩の手に渡るとロクなことが無い、ということなんでしょうね。
秘伝や真実、叡智なども同じで、
それを授ける人間を選んでいるのも
正しい扱い方を知らぬ人間の手に渡らぬようにするため。
そんなふうに
本当に大事なものは
ひっそりと隠されてる。
だけどよく見てみると
小さな石像がずらっと山の境に並んでいて
山の奥を見てみると
少し高い場所にも石像が設置されてる。
見えるかな、中央奥にあるんだけど。
でも
こういう宝珠なんて
躍起になって探そうとするよりは
静かに眠らせておいた方がいいだろうと私も思う。
ちなみに
宝物殿に空海の遺言書と
昔の室生の伝説にまつわる絵図が展示されていますので、ご興味ある方はどうぞ![]()
![]()
今回、頑張って奥の院まで足を伸ばしたのですが
写真を撮ると、空気が柔らかい。
個人的には
賽の河原と絵図に書かれているだろう付近、
太鼓橋が1つの境目なのかなぁって感じ。
奥の院まで行って
御朱印をいただいて
降りてまたこの場所に戻ってきた時
しばしこの橋の付近で待っていたら
光が射してきた。
これを見たのち、
山を降って行きます。
山歩きしたせいなのか
奥の院まで行ったおかげなのか
帰りの方が
エネルギーを感じやすくなっていて
金堂、弥勒堂、天神社のあるあたりに来ると
手にビリビリとした刺激を感じる。
エネルギーのラインがあるのかな。
紅葉が綺麗で
柔らかい空気の室生を後に
一路、東京へ。
奈良の旅、
結局9日間行ってたんですが
一人旅ゆえ、常にいろんなことを考えて
絶えず思考と感覚がフル全開で働いてました。
そのせいか、
自宅に戻って
一息ついたら
反転して
全くの無になってしまった。
頭の中に何も無いどころか
自分の周りも空っぽ。
ただ白い光だけ。
クリアというか、何も無いというか。
考えすぎで頭を使いすぎて
知恵熱みたいなのを出した時とかも
うーんうーんと唸りながらも
頭では忙しなく思考が働くのですが
その状態が極限まで達して振り切れると
一気に反転して無がやってくる。
時には耳鳴りを伴い、
心電図の脈を打っている山と谷のラインが
プツッと一直線になる
人間で言えば
心臓停止。
そんな感じで
思考が一切なくなる、無になる瞬間というのがあって
奈良から自宅に帰ってきた時は、まさにそれが起こり、
ただ、
あ、何も無い
という感覚だけ、わかる。
その状態が少しの間、続きました。
実は、龍鎮神社を後にする時にも
ちょっとした違和感を感じていました。
ここに来るのを喜んでいただろう、
私の龍がいない気がした。
龍が喜んだ感覚から
龍穴神社、龍鎮神社に行ったので
実際に行ったらテンション上がって
わーい、わーいとなるのかな?と
思っていたのに、
自分の周りに何も感じず
あれ?龍(というか、一切合切)どこに行っちゃったんだろう?と一瞬焦りつつ
自宅に戻ると
さらにこの何も無い状態。
なので、旅のことを
このブログで書こうと思っても、
自分に何が起こっているのか
よくわからないので、
様子を見るしかない日が続きました。
少しして、
ちょっとぼーっとしてる状態、
トランスに入ってる時に
猿田彦大神に意識を向けて
この旅の意味を自分なりに
なんとなく納得したのだけど
その時はトランス状態で
半分寝てるような感じだったので
この記憶が維持できず。
暫くして
龍も戻ってきた(と感じた)時には
なんか勲章みたいな何かのマークみたいなもの?が龍についてるような気がしたんだけど、
普段から
せっせとコンタクトをしてるわけじゃ無いので
このつながりは今も微細なまま。
一時期は
何もいなくなっちゃった!?![]()
と焦りもしたけれど
どうやら石上神宮の天神社で
起きたことと関係があるようで、
目には見えない部分での
『入れ替え』っていうのが
言葉で言うと一番合っている気がする。
こう言う旅をすると
自分の身に何が起きているのか
経過観察をしないことには理解できないことが多々出てくる。
奈良から帰って暫くは
この整理に時間を費やしつつ
ソウルキャラクターの
リーディングをしてみると
ちゃんとリーディングはできたので
何も無くなっちゃった!
と言う感覚=能力がゼロになった、
と言うわけじゃないと言うことだけは
わかったのだけど。
それから12月はあまり何もやる気が起きず、旅の謎解きと休息のような時間を過ごしました。
だけど、こう言う時期にも
目には見えない、
不可視の世界では何かしらが動いているようで
冬至の前日
これまで経験したことがない感覚の体験が待っていました。
そこでようやく
2020年自分がやってきたことや流れが、1つの実を結ぶのでした。
続く。
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