才能って必要かと聞かれたら
ある程度のところまでは
才能なんてあってもなくてもどっちでもいいんだろうって思う。
例えば、身体能力の差っていうのは
どうしてもあるだろうとは思う。
でもそれも突き詰めれば
背が低くても活躍することができてるバスケ選手もいれば
体は恵まれてるのに
いまひとつパッとしないで終わる人もいる
と、ここで思うんですけど、
今までの価値観では測れない部分が出てきてるなぁと思いませんか?
例えば、一昔前ならこんな言葉がありました
『女優はなろうと思えば、誰もが目指せるかもしれないが
モデルは誰もがなれるわけじゃない』
顔とスタイルっていうのは生まれ持ってのものだから
という意味合いで使われてたけど
今はビッグサイズのモデルもいれば
背が低くても読者モデルっていう道があったりして
一昔前とは違うんですよね。
可愛いから美人だから良いかといえば、そうでもなかったりする。
ってことは後は本人次第ってことになるわけで
もちろん得意不得意はあるけれど
要するに自分がどこまでやりたいか、やれるかってことなんでしょうね。
そういう意味での才能はきっと誰もが持ってて
突き進んでいければ
ある程度のところまでは行けるってことなのかも。
だから、才能は必要かって聞かれたら
別にあってもなくてもどっちでもいいんだけど
突き進む意思は必要かも。
そもそも才能がないからやめるって言葉は
できることはやり尽くした、全部やりきったって人しか言っちゃダメなのよ。
それまでは折れても凹んでも
やれればいいんじゃないでしょうか。
トライできる幸せ
ありますよね



