dahliaです。
今年に入って再度、疑問が湧きました。
思考が現実になるを疑えって書いたんですけど、
それと同じように
「人は幸せになるために生まれてきたのだ」と
どこかで耳にしたことがあるけれど、
人生の目的=幸せになること
と言うのは違うんじゃないかなぁ、と。
そうじゃない人もいると思うんですよね。
前にも、こんな言葉を載せました
幸せであるのは心地よいし、
それ自体はいいんだけど、
幸せになるために生まれてきた=人生の目的が幸せになること
って言っちゃうと
まるで人生は
幸せじゃないところから始まって
幸せになるのが目的って前提
のような気もしてくる。
人生の目的=幸せになること
そういう目的を持って生まれてきたる人がいたとしても
幸せを探し始めると、おかしなことになる。
幸せって探すものじゃない。
気づくもの。
だけど、
生まれて色んなことがあって、いつの間にか
自分ってものが、こんがらがって
それを解いて、いらないものを手放していくと、ふと気づく。
手元にある幸せっていうのを。青い鳥のように。
そのために必要ならセラピーやヒーリングを活用するのもいいし
自分のやりたいことをやる!っていうのもおすすめだと
私は思ってきたのですが
人生の目的が幸せになることって定義にしちゃうと
自分は幸せじゃない=ダメだ=私の人生の目的って何??(。>0<。)
って余計に混乱しちゃう人も出てくる。
で、幸せってことに関しては
どうせなら幸せな方がいいと私自身は思いますが、
この地球上の全員が幸せを望んでいるわけじゃない。
幸せじゃなくちゃいけないってわけでもない。
残念ながら自爆テロをする人など、
幸せより大義や色々な理由を優先する人もいるわけです。
(その人たちにとっては大義を全うすることが幸せなのかもしれないけど)
ただ、
今の日本を選んで生まれてきたって時点で
水を汲むために、1日何度も川に行かなくても済むし、
食べものを作ってくれる農家さんもいて、
それを販売するスーパーもあって、
便利になった分だけ、自分のことに時間が割ける。
何から何まで、全部一人でやらなきゃいけなかったら、
夢を実現したい、自分の好きなことをやりたい
とかっていうこともできなかったかもしれない。
と思うと、
もうこの時点で有難い。
感謝。
で、感謝してる時の脳は不幸マインドになれないので
感謝してる、その時点で幸せってことになる。
そう考えると、幸せになるってシンプルで簡単ってことになる。
いろんなことが日常あって、モヤモヤしちゃうけど、
またそのシンプルな幸せ状態に戻っていく。
その時間が増えると幸せ度数が高くなる。
でも、幸せだと感じられない日があっても別に良い。
365日、24時間、ずっと幸せ~
って感じられなくても構わない。
だって、
モヤモヤしたり絶望したり落ち込む日もあるけれど、
見えなくなってるだけで、私たちの大体は
もともと幸せなんだもの。
だから、正解としては
『私はもう幸せなので、自分のやりたいことを地上でやってみますー、体験してみまーす
』
が人生の目的なんじゃないかなぁ。
その中で「前回は幸せっていうものに気づけなかったので、今回の人生でそれをやってみますー」って人は、それをやる。のんびりしたい人やそれをやり、誰かのために何かをしたい人はそれをやる。それも魂の望む経験、体験。
人生の目的は全員違うけど、
地上で体験する、味わうっていうのは共通項。
<今日の一言>
幸せは探さない。気づくもの。
そして気がつけば、もともと幸せ もっと幸せ
