幸せの定義 | dahlia/ココロのお天気 Life is still beautiful
前回からの続きです。

あなたにとって、幸せってどんな状態でしょうか?

私の幸せの定義は

心も体も足りている状態。

昔はあれができたら、こうなったら幸せとか、そういう感じでした。
でも、ある時、自分が少しずつ癒され変わってきたら、
何もしなくても幸せだって感じる時間が増えて、
その時に気付きました。

何もしてないけど、幸せ。
特に何があるとか、これをやったからとかじゃなくて
今、このニュートラルな時が実は幸せの状態で、
これ以上の「幸せって感じること」はボーナスなんだって。


例えば作品を作って、それを人が良いねって言ってくれるのも嬉しいボーナスで、綺麗な海で泳いではしゃぐのも、美味しいものを食べて幸せって感じるのも、ダラダラするのも、好きな人に好きだと言ってもらうのも、プラスαのボーナスみたいなものです。


で、もっと究極に言えば、別に幸せじゃなくてもいい


幸せじゃないとダメ、
みたいな感覚がどこかにあったら、それはもうジャッジの領域。

自分の中で幸せの定義が固まってるんじゃないか、
もっとニュートラルに捉えていいんじゃないかと思います。


他人と違う幸せがあって良い。
他人の考える幸せが自分の幸せと違ってて良い。

幸せじゃないとダメってこともない
そのレベルまで行けば、何かが足りてないと思うこともない。
  
その時初めて、自分は足りているんだということを知る人もいる。

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幸せって聞くと、どうも『喜び!』『ワクワク!!』とか心が飛び跳ねてるような状態に感じがちだけど、ささやかで穏やかな幸せもあるわけで、

なので、心が喜びでいっぱい=飛び跳ねて踊り出しそうな勢い
っていうのもその人がただそうである(ように見える)だけ。

そういう人も行動している時、
淡々とそれをやってたりするはず。

だって、ぴょんぴょん跳ねながら絵を描く画家っていないでしょう?
絵を描くことが喜びだと言っても、
ワクワクしてます!!
とかそういう状態で描いてない。
たぶんその時間に集中して書いてるはずだから。



これまではワックワク!っていうイメージが強かった『喜び』も、非常にニュートラルな感覚に思える。そんな時代に入ってるんじゃないかと思います。

静かにたたずんでるけど、心は喜びで満ちている。
淡々と自分のやりたいことをやる、それが普通。それが幸せ、とかね。



これまで育ってきた環境に付随して
思考や刷り込みで

『これが幸せ』って思い込んでることが結構あるわけで、
それ(ハートと違う)に気づかせるために、いろんな出来事があるような気もします。

だから、どうも苦しい、行き詰まる
というのは、内側からの大切なサイン。


それは無視しちゃダメ。自分が悲しみます。


<今日の一言>
自分の考える幸せが、ハートや魂にとって幸せじゃないことがある。そういう時、私たちは苦しくなる。


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