喉の痛み そのケア方法と意外な注意点
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私たちは目に見える、
体験して得る失敗などには気づいたり感じやすいけど、
目に見えてない、実際に起こってない『失ったもの』には気づきにくい。
たとえば、何かをしたい!って思ったときに、「でも失敗したらどうしよう」と失敗や、何かを失うことへの恐れというのは、失敗した経験がある人は感じやすい。
でも、仮にそれをやらなかった時に、
本当はそれをやっていたら手にしていたかもしれないものにはあまり目を向けてない。
何かをやったら手に出来るギフトっていうのは未知数。可能性。時には予想を遥かに超えて素晴らしいことがやってきたりするんだけど、
何もしなければ何も起こらず、失敗もしない代わりに、得るものも大して無い。これを安全と呼んで良いのか、疑問。
自分の安心領域からいつまで経っても出ない。
これって一見、安全安心なように感じるけど、実は脳が『安定志向』なだけで、安心=何も目新しいことは起こらない。予定調和。
大人になると
ついつい目先の不安や心配、恐れで
「やっぱりやめよう」「また今度にしよー」って決断をしやすいけど、
告白してたら、好きな人と付き合えたかもしれないし、
言いたいことを言ったら胸がスッキリしたかもしれないし、
一歩勇気を出して自分がやりたいと思っていたことをやってみたら、自分が生き生きしてきたり、新しい人と出会ったりとか
そういうギフトを手にする可能性が充分にあるわけだけど
何もしないと、そういう可能性を自らが捨てちゃうことになりかねない。
そうなると、自分が感じてないだけで、
本当は失ってるものが多大にある気がしません?
見えてない痛手 ロストLOST
もし仮に自分が死んで、空から今の自分の人生を眺めたとき、
やってたらこれを得られてたってものが、もし見えたとしたら
すっごい後悔するんじゃないかな。
元々、何も持たずにこの地上に「おぎゃぁ」って生まれたのに、いつの間にか失うことや失敗することへ恐怖だけは身に付いちゃって
それが足かせとなって、自分の可能性を狭めちゃったら、それは悲しい。
一番難しいと言われるのは、何もしないこと
とも言えるし、
本当の失敗は 何もしないこと かもしれない。
だって、『経験』ってことをやりに、この地上に来てるんだもの。
やりたいなと思ったら、やってみる。
ただそれだけのことなのに、
大人になってあーだこーだ理由つけては止める、やらないとか、
いつからそんな風になっちゃったのかなー?
なので、
気づかないうちに損失してるギフト、可能性に目を向けて
これをやったらどんなことが得られるんだろう、
どんな良いことが起こるんだろうって考えた方がはるかに良い気がします。
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