人の役に立つことをしたい? | dahlia/ココロのお天気 Life is still beautiful
前回
の続きです。



誰かの役に立ちたいと思う気持ちとか、助けたい、

奉仕精神があるのは立派だと思うのですが、

中にはその裏に隠された思いを持っている人もいるのでは?と感じることがあります。



誰かの役に立つというのは

自分でもやりがいを感じたりするし、

必要とされていることを実感出来るのって嬉しいですよね。



でも、心の奥にこういうのが潜んでたら

ちょっと話が変わるし、危険信号。



(表向き)

誰かの役に立ちたい

自分も誰かの役に立って、必要とされたい

↓  ↓

(裏の心理)

人の役に自分は立っていない

役に立たないと自分には価値がない

誰かに必要とされ、役に立つ自分でいないといけない

そうじゃないと愛されない。



みたいな信念が潜んでいないか、どうか。





さらにいうと、

誰かを助ける、手を貸す、人の心配をするとかって

自分の奥を見ないで済む隠れ蓑に使えたりします。



自分の中で

本当は無価値観でいっぱい。

それを見たくない、

価値がないと感じたくないので(価値がないなんて本当は噓だけど)



自分の価値を感じられるようなことをしたり、

自分の影の部分を見ないで済むので、人助けするとか。



人のことに意識を使ってれば、自分の事に意識を向けなくて済む

という深層心理が無意識に働いてる事もあるんですよね。





人を助けるとか、そういう行為自体は素晴らしくても、

上のような思いが心の奥底にあると

上手く行ってる時は全然問題ないんですけど、

その価値を感じられなくなっちゃった時、上手く行かなくなった時に

自分の中にある歪みに気づくんです。



例えば、子供にすぐ手を貸すとかも

子供が上手くできないことに焦りや苛立を感じてるのは誰でもない親の自分自身だったり、



自分がそのままの自分を認めてないから

子供にそれを投影してイライラしちゃったり、



ボランティアとかも含め、

癒しに関わるようなことをするのも同じように、

心の奥底に上に書いたような思いが潜んでると

自分の無価値観、満たされてない思いなどを埋める為にやっちゃう。





それで自分の内側が満たされて埋まってる時は良いんだけど、

上手く機能しなくなった時に、



相手をコントロールしたがったり、

相手のせいにしたり、怒ったり、逆に自分が必要以上に凹んじゃったり

自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったり、罪悪感に苛まれるとか



よかれと思ってやってるだけに

自分にとってのダメージが大きい
んですよね、きっと。





誰かの役に立ちたいと思う人は

基本的にとっても良い人で繊細なので、

それゆえ何かあった時に、自分で自分を傷つけたり、

潰れてしまったりするともったいない。



誰かの役に立ちたいと思ったとき、

まずはそのままでもちゃんと自分が役に立ってる、

価値が充分にあるってことを

自分自身が認めてあげるってことが大切かなと思います。



その上で、色々な方のサポートをすると

自分がしんどくならずに済むのでは?と思うのですが、いかがでしょう?





<今日の一言>

役に立たない人間なんていない

何かしらこの世界の誰かの、何かの役に立ってる。










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