『誰かの役に立ちたい、助けたい』と思う時、
もしかしたら、それは自分の中のSOSまたは回避信号かもしれないよー、気をつけてくださいねという話です。
これまでにいろんな人のお話しを聞いていて
たまに違和感を感じることがありました。
それは『人の役に立ちたい』というものです。
これだけ聞くと、すごーい!立派!!と
思うのですが
中にはなんとなーく「何か違うような気がする」と感じることがありました。
人の役に立ちたい、誰かの為に何かをしたい、助けたい、癒してあげたい
そう思ったとき、その思いがどこから来てるのか
ここがとっても重要な気がします。
ちなみに私はセラピーなどをして来たわけですが
誰かを癒したい、癒そうと思ったことがありません。
「もし私で何か役に立つことがあるのであれば、謹んでやらせていただきまーす」みたいななスタンスです。
以前、このことを友人に言ったら、驚いた顔をされました。
彼女はきっとセラピーとかをする人は癒そう、
癒してあげたいと思ってやってるんだと思っていたのでしょう。
でもそれっておかしな話です。
だって、『自分を癒すのは自分』だもん。
だから、セラピストやカウンセラー、ヒーラーなどをする人は、
あくまでもそのサポートやアシスト、きっかけ作り、その人が自分を癒す場を提供し、その場に共にいることである、と思っていました。
だけど、中には
自分を癒す為にセラピストをやってる人もいるようで、
それは以前このブログでも書いたのですが、
それをセラピーを受けたことがない知人に話した時に、
あーでも、セラピストってそう言うイメージがする(自分を癒す為にやってるイメージ)
って言われたんです。
ということは、そういうセラピストが
これまで、すごーく多かったってことかもしれないって思いました。
もちろん、そうじゃないセラピストもちゃんといるわけですが、
というか、21世紀の今はそうじゃないプロがスタンダードだと信じたい所ですが、
プロのセラピストでそんな感じだったら、
一般の人はもっと気づきにくいよねぇと思ったんです。
何に気づきにくいかというと、
『自分の内側にある痛み』に。
これを放置して、誰かを助けたいと思ってないか。
ここが実はとっても大事。
そうじゃないと、いつか歪みが来ます。
そうなったとき、せっかくの善い行いが続かなくなったり、
自分が疲弊してしまう。それじゃ継続出来ない。
これじゃせっかくの人助けもできなくなって、勿体ない。
人助けしたい気持ちが悪いんじゃなくて、
それをやろうと思った人が何かしらで潰れちゃうのが勿体ない
次回に続きます☆
メルマガで読む『心のサプリメント』
■dahlia通信 『人生を好転させるHAPPY自己愛メソッド』
*docomoを始めとする携帯アドレスの方は配信出来ないことが多いので、
PCメールアドレスをおすすめします。