先ほど家でおそばを食べた後、
そば湯を飲んだら、
その温かさに思わず「幸せ~~~
」って軽く叫んでいましたwそば湯を飲んだ時って、なんでほっこりするんでしょうね

日本人だなぁと思います、我ながら(‐^▽^‐)
今日は私が子供の時に出会った、
今でも心の支えとなっている言葉をお伝えしたいと思います(*^ー^)
私は子供の頃、
トランプ占いという本を買って
自分で色々占うのが好きでした。
カードには一枚一枚意味があって、
52枚、1ページずつ詳しく書かれていました。
その中で、今でもたった1つだけ覚えているものがあります。
それはスペード♠の10、意味は
『暗闇の彼方に一筋の希望の光』
というものでした。
子供の時の私に
とても強い印象を残したようで、
その後も何かにつけてこの言葉が思い出されました。
私が『生きていて一番辛い』と思うのは
まるで希望が見出せない、出口が見えない、いつこの状況が終わるのか分からない、まるで暗闇にひっそりと自分一人でじっとうずくまっている、そういう状態じゃないかと思うんです。
私が生きていて一番キツかったのは
母親が蜘蛛膜下出血と脳内出血を併発して突然倒れ、それから亡くなるまでの11ヶ月間、ちょうど私が25~26歳の時です。
7回ほど手術をしたものの、母の状態は回復せず、
医師の診断書には『植物状態』と書かれていました。
あの時期は本当にどん底にたたき落とされて
この世の中には自分の力じゃ
どうしようもできない事があるのだと強く打ちのめされました。
日が経つにつれ
気が狂った方がどんなに楽だろう、狂ったら良いのに
いつの間にか、そう願う自分がいました。
それでも
そんな時でも
『暗闇の彼方に一筋の希望の光』を探すような自分がいました。
私の場合は母の病状だけでなく、
あまりにも色んなものを目の当たりにして、
本当に消えてしまいたいほどでしたが
それでも今思い返してみれば、
私を支えてくれた彼(こばりん)や
夜中に耐えきれず家を飛び出した私の話をファミレスで聞いてくれた友達、励ましの声を掛けてくれたバイト先の人たちや在宅介護講座で出会った方々、いろんな方々に助けられていたんだなぁと今さらながらに思います。
当時は確かにキツかったけど、
若い時にそういう経験をした自分は運がいいなぁと
つくづく思います。
26歳で喪主として母の葬儀を行う事は
他の方からみたら、運がいいとは言えないかも知れませんが

もし同じ事が今起きたのなら、
果たして乗り越えられる体力があっただろうか、
私は自信がないので

若い間にまとめていろんな嵐が来といて良かったなぁ~ f^^;
つくづくそう思うんですよねぇ

このブログを読んでくださっている方の中にも、
辛くてまったく出口が見えない、そんな状況に長い間
身を置かれている方もいるかもしれません
でも私は
どんなに辛い真っ暗闇の中にいても、
どこかに希望の光が射していて欲しい、
そしてそれを求めて欲しいと願っています。
あなたが求める限り、見ようとする限り
必ずどこかに希望の光は射しているはず。
私はそう強く信じています。
ちょっと今日は重い話になりましたかね ^^;
最後まで読んでいただいてありがとうございます

この世のすべての命が幸せでありますように


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