祈ることだけ | dahlia/ココロのお天気 Life is still beautiful
今晩、13~4年ぶりにNおばちゃんと
電話で会話した。

おばちゃんは亡くなった私の母と一番の親友で
家族ぐるみの付き合いだった。

母が亡くなり、
何度か手紙のやり取りをしたけれど、
その後は全然連絡をしてなかったので
私が引っ越す前の電話しか知らず
1週間ほど前に
母の妹である私の叔母に電話したらしい。

その時のおばちゃんの様子を心配した叔母が
その後すぐに私に連絡してきた。

おばちゃんは
鬱状態でもうずっと調子が悪いこと、
旦那さんも具合が悪く
良くしてくれる息子に
もうこれ以上迷惑はかけられない

だから、家を出てどこかに
一人で行く、、、

もうダメなのよ、、

を繰り返すばかりだった、と。

今年70歳を迎えた私の叔母も
数年前に鬱になったことがあるので
自分もそうだった、
だから大丈夫よ!
それに一人になってどうするの?

心配でそう声を掛けたけれど、

でももうダメなの。。。。

とおばちゃんは返事を返すだけだったらしい。

そして、家を出る前に
最後に私の声が聞きたいと思ってくれたらしく
叔母に私の電話番号を聞いて、

その電話がさきほどあった。

久々のおばちゃんの声には
昔のチャキチャキした抑揚もなければ
感情すらどこかに置き忘れたような様子で
ゆーっくりとしたテンポで

話す言葉は
もう限られてるかのようだった。


叔母から聞いた通り
具合がもう何年も悪く
病院に通っているらしい。

文字通り、
心身共に疲労困憊という状態。


私は元気でやってるよ

と言ったら「それは良かった」と言ってくれた。

こういう時に
自分ができることはごくわずか。

話を聞いてあげることくらいだけど、

子供の頃に
突然思い立って母とおばちゃんが
計画も何もたてずに
那須に私を連れて旅行に行ったこと

おばちゃんは私に一番優しかったこと

新宿御苑や近所の公園にも行ったね、

そんな話をいくつかした。

おばちゃんは
昔の楽しかった思い出を話しだして
少し嬉しそうに
「あの頃は楽しいことがたくさんあった

でも、それからはもう
おばちゃんの人生はつらい人生だったよ」

本当に色々あったのだと。

少しでも話を聞いて
何があったのか話すことで本人が楽になる、
それを本人が望んでるならなら聞けるけど
おばちゃんがそれを望んでるようには
思えなかった。

私に電話することで
最後の踏ん切りをつけよう、
そんな感じだった。


「おばちゃんは一人になったら楽になるの?」


うん、そう思う。。


すんなりと出てきた
この言葉を聞いたとき、

ああ、これはもう、、、

引き止められないと思った。

おばちゃんの限界は
とっくに超えてる。


おばちゃんは今何歳だろう。
母と少ししか違わないとすれば
もう70歳前後。

ご主人と息子の3人暮らし。

何十年も一緒に生活してきた家族だし、
もしかしたら
良くなるから大丈夫だよ、とこの場だけでも
慰めた方が正解かも知れない。

でも、そんな家族でさえ、
もう一緒にはいれない、と判断したのだ。


おばちゃんは長い時間を重ねて
もうすべてが、全部が嫌になったのだ。

高齢で具合が悪い、
それなのに一人になって
どうするの?

それは身近な人なら誰もが思うことかも知れない。

でも、
もうこれ以上おばちゃんの意思を引き止めるようなことを
言っていいのか迷った。

「あと何年生きられるかわからないけど
一人でのんびり何にも考えないで暮らしたいの」

そういうおばちゃんの声を
誰か聞いてあげられる人が
そばにいたんだろうか

私は泣きそうになったけど

おばちゃんが
一人になった方が幸せなら
それもいいかも知れないね

おばちゃんはみんなに優しすぎるんだよ~

と少しだけ笑った。


「カオリの声が聞けて、笑い声も、、、、、、
良かった。
電話するのはこれが最後。」

「なんで最後なの??
また電話できるじゃん!!!!!」

これだけは譲れなかった。
なんだか
ここですべての手を離してはいけないように思えた。


「そうだね、また一人になって………
いつになるかわからないけど
落ちついたらカオリに電話するね」


そうだよ!!!
おばちゃん、電話くれてありがとう!!
嬉しかったよ!!
絶対電話してよね!!



「うん、電話するよ。」




私がしたことは
おばちゃんと話をして
嬉しかった、といい
おばちゃんの言うことをいっさい否定せず
意思を尊重しようとつとめたこと

そのくらいだった。

わずか10分の会話だった


私ができることなんか
たかが知れてる。
こういうとき、
私は本当に無力なのだと
知ってる

でも、もしおばちゃんが我慢の限界で
一人になりたいと願うなら
それを止めちゃいけない気がしてしまう。

70年生きて
楽になりたいと願うなら
そうさせてあげたい。


冷たいけれど
結局、人の人生は他人が責任持てない

そして鬱が何のきっかけで好転するかなんて
誰にも分からない。
一人になることが本当に良いのかすら分からない

そしていつ死ぬのかさえ
分からない。

だからこそ、
人間は自分の思うように生きるべきなのだ。


救いは
死にたい と言葉が出なかったことだけれど
私とおばちゃんの関係性で
ここの判断は難しい。

おばちゃんはこのあと
本当に家を出てしまうのかわからない、
でも、どんな状況でも元気になってくれれば嬉しい。


おばちゃんの心が幸せでありますように
この祈りがおばちゃんに届きますように

おばちゃん、電話してくれて本当にありがとう。
私は嬉しかったよ、本当に


この日記
読んでくれてありがとう、みなさん



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