「お母さんって…いっつも(ため息)そうだよね…」


これは私が、子どもが小学生(高学年)の頃に、とってもガッカリするように言われた言葉…


この頃の自分を思い出すと、大人の事情満載で…一貫性があるようでいて、全く自分の意思ではなく…

社会的…みたいなものにいつもがんじがらめだった…


我が子達の思いや考えより先に…

ましてや「自分の考えはどうなの?」と問うこともせず、社会にならうのが優先だった…


そうやって、大人達の常識だと思い込んでいるもの、通念みたいなものを、子ども達に諭し、導くことが子育てだと思っていた…というか、正しさだと信じ込んでいた…


全然、子ども達の想いや信念みたいなものを汲み取ることのできない母親だったのに、


無償の愛で、いつも一生懸命応えてくれていた我が子達…



あの時の言葉は、きっとやるせない気持ちで発した言葉だったのだろう…本当にごめん


そんなストレートな真っ直ぐな言葉をもらっても、なかなか言葉の真意に気がつくことはできずに、

たくさんの失敗を繰り返し続けた、その後の数年間…本当にごめんなさい



そして、色々なことが上手くいかなくなった…


体面、体裁、世間体…そんな曖昧な不確かなものに振り回されていた私…


子ども達の頑張りがあったから、ここまで持ちこたえてきた…

子ども達が、母親である私を尊重してくれたからこその頑張りがあった…


そう、子ども達は、どんな私でもいつも受け入れてくれていた…



なのに、私はと言うと…


子ども達の外側ばかり…

自分自身をも外側ばかり…


評価や実績があってこそ、自信になる、自分を好きになれる、と思い込んで…子ども達のことも、自分自身のことも、ずっとずっと頑張らせ続けていた…


それは当然、愛情ゆえなんだけど


これは大きな大きな勘違いで…


自信や自分を好きになるなんていうことを獲得することにはまるで逆効果であった



全く順序が違ったということを知って


まずは、どんな状態の子どもであっても、自分であっても大丈夫!という気持ちがあってこそ!!なんていうことを知って…


全く持って、青天の霹靂でしかないことだったんだけど…



その順序の違いこそが、まずは自身の思いや考えを大切に尊重してこなかった結果だということに気がつき始めて…


ではなぜ、自分の思いや考えを大切にできないんだろう…尊重できないんだろう…と考え始めた…


そして、自分をはじめ、お母さん達の抱えている不安の強さに気がついた



そんな経緯で、同じ思いをしている者同士で共感し合えたら…と、

今からちょうど4年前に、今の活動の前身である、心を整えるママサークルを立ち上げた


子どものためのサークル、団体、

何かを解決しようとしている団体(不登校とか)共通項での仲間のサークルや団体(趣味や特性とか)

そういうことなしで、ママというだけで、

ママのための何かがしたいと思ってスタートした


しかし、矢先のコロナだった…



それからオンラインでの繋がりが主流になり、

活動がストップしてしまったことを心配をしたものの、サークルとは違う形で、より多くのママ達の声や想いを聴く、そして自分の心に耳を傾ける時間がどんどん増えていった


そうやって、自分や人の想い、考えに触れていると…

対話によって、自分自身の気づきに繋がる経験や自分に還る感覚を知っていくと、

どんどんどんどん心が元気になって、自分を真ん中にする感覚が体感できてきて、ぶれない軸がしっかり持てるようになった





そこで、地元でHSPの特性を活かした活動をという想いで、サークルから市民活動団体として再開を始めた


対話による居場所作り

心理的安全性を拡げていくこと

自分らしさに還る時間


私がやりたいのはこれだけで

この団体活動ももうすぐ2年になる


最近、始めた継続編での勉強会(タイトルは堅いけどただの対話の時間(笑))では、参加してくださるメンバーさんが、

「この会に参加して帰ると、とても気持ちがスッキリするんです」

こんな感想を伝えてくださった


それは私も一緒で、自分をそのまま「在ること」とできると、とても安心ができる

とてもありがたい時間である


想いや考えを放出できる場…
あるのとないのでは、見えてくる景色が違いますね。
私も想いを話させて頂き、一歩前進です。
またお話ししたいなぁ、お話しを聞きたいなぁと言った思いで、帰路につきました。
自分がどんな気質を持っているかを意識化におけると、景色は変わりますね。


他のメンバーさんからは後日メッセージをいただき、こういう心の触れ合いこそが私の活力になる



「お母さんって…いっつもそうだよね…」という言葉は、


「お母さん、いっつも自分を欺いてるよね」

「本当の想いはどうなの?」って、問われていたのかもしれない…



私は「成る」より先に「在る」を大切に感じていきたい

ただそれだけでいいのかもしれない