「わかってもらえない」


「理解してもらえない」


というのは、とうの昔から知っていて


そのことに、相手が本当に悪気がないことも

とっくに気づいていて


だから…

寂しいことではあるけれど


あまり期待しすぎないという、

身の守り方もしっかりと習得していて



最近では、感情とか気持ちという類でなくても

理論的に説明できることでも、


HSP的に思う『わかる』『理解する』とは

全く違うのだということにも気がついたのに



ちょっとやっちまった…って話


私は期待して、相手に求めすぎて

ふっと相手に肩透かしをくらうことが

苦手なので…とても傷ついてしまうので…


『わかる』『理解する』という基準が

人によって違うということを

「わかろう」と思っている


そうしないとついつい

自分の基準を求めてしまうから



けれど…


今回ちょっと震えるほど平静を保てなくなった



母の話…


母は私が小さな頃から悪気なく、

「わからない」「理解できない」人だった


私の大切にしていることに対しても関心が薄く


私が大切にしていることが侵害された時に

騒いでも怒っても

まるで意に介さないという感じの人だった


騒いでいる、怒っているということは

わかっているのだろうけど


何に対して


何で感情的になるのか


ということへの理解が欠けていた




私は物に執着するとこがあって


特に『思い出』には執着しやすい


その中でも、特に『子どもの思い出』に

対する執着は強い


子どもが小さな頃に、とても好きで

遊んでいたオモチャがいくつかあって

(子ども達もそのオモチャにとても執着してた)


4人の子どものうち、3人の男の子達が

熱心に遊んでいたオモチャで、大切に取って

おいた物があった


そのいくつかのオモチャが、近所である実家に、遊びに行った時に持って行って、そのままになっていた


いつか返してもらおうと思っていて

「今度持って帰るから」と、何度も言っては

そのままになっていた


「今度持って帰るから」というのが、私には

ポイントだった…


「今度持って帰るから」と何度も言った

いうことは、それだけ大切な物で、意味がある物であるということ…




今までも、預けていた私のコートが母仕様に

リメイクされてしまったり…

(私にとっては預けるほど大切にしていた…

というつもりだった、保管してもらいたかった…)


私が子どもの頃の物も、許可なく捨てられることはザラだった…


母の基準は使えるか使えないかであって、

大切にしているかどうかというのは関係がないようだった…



だから今回の子どもの預けているオモチャに

関しては、「今度持って帰るから」と何度となく伝えていた…つもりだった



それが今回、

「人にあげた」ということが発覚した…


私は愕然とした


私は何度も持って帰ると伝えていたつもり

だったし


大切にしているのは伝わっていると思っていた



「なんでわからないの…」


いや、


「なんで、わかろうとしないのだろう…」と

いう気持ちだった



子どもの前だったけど珍しく感情的に

なって、問い質してしまった



私は日頃、こういうことがめったにない


「わからない」「理解できない」は

もうわりきっているつもりで、そういうことで

波風立てたくないし、


子ども達とは良好な関係でいてほしいと思っているので余計なことは言わないようにしている


でも、やはり


「わかろうとしない」ということに

直面した時のショックは大きかった



子ども達はとてもビックリしていた


目で見えるもの、雰囲気でわかるもの

感情が理解できるもの…

「わかろうとしなくてもわかってしまう」

子ども達である



伝わらないという現実に、子ども達はビックリしていた



私は両方の反応の違いを眺め、妙に納得してしまう反面、やはりショックはショックで大きかった…