閉まっていた箱


子どもの頃、

公園の砂場だったり、

空き地の水たまりや草むらで


今、思い返すと、どうして

そんな事が楽しかったのだろう?

と、不思議に思う遊びをしていた。


泥水を掻き回したり、

小石を集めて並べたり。

雑草の花を詰んで、花輪の冠を作ったり。


目線も感覚も自然に近くて

余計なものに意識が向かないから。


北の大地の

田舎町に育ったから、

そして、あの頃はまだ

砂利道ばかりだったから


駆け回って転んで

あちこち、擦りむいたり

傷だらけになることもあったなぁ。


身体の傷は、

血が流れて、痛みと

時に、涙という薬で

治そうとするチカラが働いて

忘れた頃には戻っている。


心は?


外側からは

見えない傷。


涙だったり、

声にして 

外に取り出せれば

まだ、大丈夫。


でも、

ずっと閉まったままだと

なかなか治らない。


深くて、薄暗いところに

居座ったまま。


ゆっくりだけれど、

だんだんと積み重なって

固く、重たくなって。


箱に閉まっておくのは、

大切なものがいい。


心の傷は、

閉ざしてしまわなくていい。


そう氣付いたら、

黙って蓋を開けて

明るい光を入れて

例え、

深い底まで届かなくても。


ゆっくり溜まったものは、

ゆっくり解かせばいい。


自分で閉まった箱を

開ける鍵を持っているのは、

自分だけ。


もし

鍵を失くしてしまったら?


大丈夫。


鍵の在処に導いてくれる人が

必ず現れるから。


失くした鍵を


「君が探しているのは、

 きっと、これかもしれないよ?」


と、

優しく手渡してくれる人が

必ず現れるから。


鍵が合わなくても、

「あれ?違ったかぁ…

 じゃあ、あっちに行けば

 見つかるかもしれないよ!」


と、その場所に

連れて行ってくれる人が 

きっと現れるから。

信じてさえいれば。


閉まっている心の傷は

箱から出す時が訪れるから、


その瞬間を逃さないで。


忘れないで、

差し出された手を

握る勇氣を

持っている事を。