約1年前。


「かおりさん!孫が生まれたんです!」


久しぶりに会った友人が、

嬉しそうに駆け寄ってきた。


「え〜っ!?おめでとう!!

おばあちゃんになったの?

女の子?男の子?」


暫くワイワイ盛り上がっていたら、


「命名書を書いてもらえますか!」と。


「え〜っ!私に?」


予想外の言葉に一瞬、ハッとなった。


【名を書く】


という事。

私の中では、ちょっと特別な位置にある。

書を始めた当時から、それは変わらない。


過去、名が筆先に降りたのは、

たった二回だけ。


それは、頼まれたのではなくて、

どうしても描きたくて、勝手に手が動いて

毎日描いていた。


二十年以上の月日のうちで、

たった二回だけだった。


さて、どうしたものか。


今更、冷静になって氣づいたけれど、

お孫さんや娘さんのお写真を拝見させて頂くとか、何かエピソードを聞くとか、出来たよね…。

何でしなかったんだろう。不思議。


「かなり時間頂くと思うけれど、

 それでも良ければ。」

と、お名前を伺った。


お名前の字を教えてもらうと

また、ハッとなった。


私の経験してきた時間の流れが

フラッシュバックするような、

記憶が結ばれた字が並んでいたから。

(勝手に重ねてるだけかもしれないけれど)


当時、公私共に様々な出来事が重なり、

かなり厳しい時期でもあった。


命を乗せた器の

名。


覚悟して引き受けた。


依頼主である彼女と顔を合わせるたびに、

「もう少し時間ちょうだいね…」

を繰り返す私。


世間一般のオーダー仕事なら、

制作期日と納品日が決められていて

ある程度、依頼主から仕上がりイメージの

希望がリクエストされる。

 

今回は、

サイズも色も文字のテイストも、

額装に至るまで全てが私に委ねられた。


毎日、触っていても、全く何も動かず

沈黙される事が多い私の筆先。


動き出すまで、待つしかないから、

何も出来る事が無くて、ただ自分を整える

努力を日々、怠らないようにするのみだった。


まだまだ未熟な私なので、

静寂を保って、そこ入ってくる動きを

受け入れるタイミングがなかなか訪れない。


初の試みで、"書いてみる"という事に

挑戦してみたものの、予想通り

何も生まれなかった。


そんなある日、

ようやく筆に呼ばれて、

墨を長らく摺り続けた後に

何を書こうとするでもなく、 

向かっていた。


筆が紙に触った瞬間に

'結'の文字が其処に現れていて、  


「あ!」


と、名を書くことを思い出した。

その後、数枚だけで筆は止まった。


現れた名を眺めて、

第一印象は、まだ真っ白だったけれど

何故か氣になって

墨が落ち着くまで数日、そのまま

保管して置いた。


私が描いたものは、

描き上がった瞬間に出来上がって

動き出すものもあるけれど、


多くは眠っていて、

一晩明けてからとか、数日経過してから息を始めるものが多いように感じる。

過去、反古紙の山から発掘して作品として甦ったものがどれだけあったことか…。


そんな日から、また数ヶ月経ち、

また少し筆先が動いた日があった。

数枚、現れたけれど、後になって結局は、

最初に生まれたものが額装に至った。


冗談めいて、

「一歳のお誕生日には間に合うようにするね。」

なんて話したのが、結果、ほぼそれに近い仕上がりになった。 


額装が仕上がり、暫くは

何だか怖くて開けられなかったけれど、

流石にお渡しする前に確認せねば!

と、恐る恐る対面した。


瞬間、何の不可もなく、スッと

イメージ通りの仕上がりで、

まずは一安心。


いよいよお渡しする当日。 


ドキドキしながら依頼主に会いに…。

更にドキドキしながら、手渡した。

また更にドキドキし過ぎながら、

箱を開ける彼女の手を目で追った。


彼女も緊張しながら開ける。


「わぁ…。」


とても喜んでくれて、

一年近く、私の肩に乗っかっていた

重たい岩が一瞬で無くなって

ホッとした。


彼女は、無言で携帯電話を取り出して

「これ…。」 

と、最近、娘さん達から送られてきた、

可愛いお孫さんの写真や動画を

息席切って見せてくれた。

もう、言葉にならない感じで、本当に嬉しそう。

(いや、書く前に見せてもらいなさいよ!私!)


暫く、小さな四角い窓の向こうから、

こちらに向けられる無垢な笑顔を一緒に見ながら

可愛い、可愛い、しか言わない私達。


優しくて素敵なお母さんを選んで生まれた

素敵な娘さんから、お母さんへ贈られた

素晴らしいギフトのお孫さんの眩しい笑顔。


そんな尊い命に乗せられた愛が溢れる

名前を描かせていただけた事が

どんなに有り難いか…。


私は、母になる道を望んでも

与えられなかったけれど、

目に涙を浮かべながら、

何度も何度も、

「本当にありがとうございます!」

と私に伝えてくれた、彼女の眩しい笑顔に

自分の魂が救われたような氣がした。


“木“がつく文字を含む名  

“木“は、描かなかった。 


その"木"は、

私が過去、導かれて訪れた

思い出深い地に生きる

御神木の木だった。


その当時、育て始めた同じ木の苗木。

数年経ち、ようやく数十センチ育ち 

大地に根付き、少ないながらも、

碧々とした枝葉を伸ばし始めた木。


その枝葉を切り分けて、

"木"を書く代わりに、添えた。  


だんだんしおれてくるけれど、

お孫さんは、一瞬一瞬、生き生きと 

愛情を注がれて力強く育っていかれるから。

 

大地に根を張り、

包み込むような優しさと、厳しさを抱いた

素敵な木のように。


長い時間、黙って待ってくれた彼女と

彼女とのご縁を結んで下さった恩師に

感謝をまた重ねた瞬間だった。