130万年前京都盆地は大阪湾に繋がる内湾であった


その後沖積世の開始とともに急速に京都盆地の湖底が隆起して陸地化が進み取り残された湖底が洛北の深泥池、二条城南側の神泉苑、宇治川南の巨椋池であるといわれている


神泉苑はもともと湿地帯であったところを利用して平安京造営の際に作られた庭園です


常に清水が湧き出す神泉があることから神泉苑と名付けられた


かっては約8万平方メートルもの大きな庭園だったが慶長7年に徳川家康が二条城を築城したときこの神泉に

注目し城の堀に利用したため神泉苑の規模は大幅に縮小された


神泉苑の前の御池通の呼び名は神泉苑に由来するといわれている