日本三大杜氏の丹波杜氏

蔵入り前祈願祭22日

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国道372号線篠山園部線の日置から南に走るこの県道篠山川西線に沿って難所古坂峠を越えて後川を通り抜けるとさらに急坂を登ると西峠


丹波杜氏が見送りの家族と別れを惜しんだ県境である

「主を送って峠に立てば霧で濡れたかこのたもと」


丹波の農家の男たちは冬の農家の男たちは冬の農閑期になると農外収入を求めて「百日稼ぎ」という酒造出稼ぎに出かけた私もこの話しは数多くの方々から聞いている


丹波から酒どころの摂津に抜ける街道はこの西峠を含めて三ヵ所


なかでもこの西峠は二度びっくりというほど険しい峠を二度超えなければならない難所だった


徒歩で伊丹池田西宮の酒蔵まで出かけていた明治初期までのこと


昔の人はよく歩かはるけどだから歩けるのかもしれない惚けやはって探すのに大騒動で後々応えました


男たちは見送りの家族とともに牛の背や牛に引かせた大八車に布団や衣類などの荷を乗せて峠を登っていった


西峠に着くと家族に別れを告げ荷を天秤棒で担いで猪名川渓谷を一気に下っていく


お互いに思いやる重さも一緒に背負った峠越えであった


「主は起きてか忍ぶ夜の針仕事」

「丹波恋しや六甲越えて雪がチラチラまってくる」と酒造り唄やデカンショ節にも歌われている


明治18(1885)年には篠山町

日置の波部本次郎氏の提唱により拡幅の大工事を行い峠まで二間道路が開けた


冬は雪で何度も運休したがボンネット型の定期バスも運行した


現在は旧道沿いにかっての面影もない二車線道路が走っている


私は丹波国が好きだ


丹波篠山と丹波市は国と京都からえらいたたかれたそうだが


兵庫大阪といや南桑田の片割れなんやから大阪ちょっと頑張れよ面白味がないお嫁に行かした甲斐がないじゃないか


南桑田の片割れが大阪で虐められてるんではないかと心配しているがもともと京都なんやし


矢張り丹波国ゆうたら兵庫京都なんやなあ思うこの頃


摂津大阪南桑田のうちの片割れ構ってやってくれないか