虚空に花降り音楽聞こえ霊香四方に

薫ず


謡曲「羽衣」


花が降り音楽が聞こえ不思議な芳薫がと視覚・聴覚・嗅覚でただならぬ

あたりの気配を表現しています


天女の衣に出会った時というのは

まさに異界との遭遇でした


この世ではない異界が出現していたのです



天女は月宮殿に勤める天乙女のひとりでした宮殿に帰り月の満ち欠けをつかさどるためにその衣を返してほしいと訴え物語は展開します


長い歴史を通じてわが日本国では

東洋では異界との遭遇ということは大変貴重な体験の一つとして考えられてきました


人間の営みの限界を常に感じ異界の存在に畏怖を持って向き合うことが限りない命を得てこの世を生きることでの重要なバランス感覚であった

のだろうと思われます


その異界と遭遇するとさまざまに説明不足なことを体験するのでしょうがどうも不思議な匂いも漂うようです


丹穂生  丹秀生  にほふ  におう


日本人は花や美人を匂うように美しいと表現します


日本人は色香という言葉にみられるように色と香りを同時に受け止める感覚を持っています


西洋のように嗅覚と視覚を切り離しては考えられなかった


そのようには考えなかったのです


だからこそうまれた言葉にほふ私はこの言葉にとても日本人らしさを感じます


私はかおりといいます

もしかしたらかをりかかほりになるはずでした


をとおを間違えて理解して書く子だったのでその点は良かったです


漢字で書くと香織里と書きます

織苦手てでしたね


手違いでかおりになってしまい

ましたが


でもどちらでも良いんですよね

私の名前ですから 


におうにおいは匂う良い香りがすることをいいますね


臭うは臭いですからあくまでも

良い香りがにおう匂いです

 

そしてその匂いには例えば紫が匂うようと色彩を表現する際に使うことがあります


匂うを辞書で引いても色が美しく照りはえるとあり


におふは本来色彩の美しさをいう

言葉だったそうです 


いま現在五感の再構築がいわれています 


香だけでなく色を感じとれる心


匂うとはにほふ丹穂生


丹は辰砂大地に煌めく赤き辰砂は

まるで匂ふように赤く美しいです


丹が地面から穂のように生えている


だから丹穂生にほふ


丹波国に生まれ育って良かったなあおもいますほんまに土が今京都市右京区やけど全然違います