脳梗塞で倒れた父は要介護5となり

左半身麻痺で病院での車椅子生活。

 

続 父のこと(記録として綴っています)

 

 

今年も蝉が名残惜しそうに

鳴いている季節になりました。

 

私にとってはあっという間に

また夏が来たという感じです)

 

去年の夏の終わりのことです。

(転院先のリハビリ病院にて)

 

家に帰りたい。

美味しいごはんがたべたい。

とこぼすようになり

リハビリをしたがらなくなってきた父。

 

「家に帰れるように一緒に頑張ろう」と

少しでも自立歩行ができるようにと励ますも、

相変わらず気分のムラがひどい。

 

とにかく、心身の状態が著しく変化するため

何か問題があるたびに

「お父さんの件で・・・」と

看護師さんから連絡が来るたび、

(今度は何のことだろう?と)

戦々恐々としていました。

 

こんな感じが続いていたので

他病院へ受診を促されて

何度か行くこともありました。

 

それでも調子のよいときには

(介助ありでしたが)

車椅子からゆっくりと立ち上がり

部屋にあるトイレに行って排泄もなんとかできていたし、

左半身麻痺でも右手でスプーンなどを使って

普通の食事もできている状況でした。

 

父の場合

(高次脳機能障害を伴った重篤な脳血管障害にあたるため)

リハビリ病院での入院期間は最長で180日までと

決まっていたので着々と準備を進めているところでした。

 

 

目標はもちろん在宅生活でした。

月1のカンファレンスでは

主治医、看護師さん、介護士さん、作業療法士さん

ソーシャルワーカーさんたちと話し合いつつ

父の心身の状態や

母のできる範囲、家族のできる範囲を考え

いくつかのプランを私は考えました。

 

(カンファレンスの日程は父にも知らせていたので)

都度、どんな話をしたかを必ず報告していました。

 

 

急性期病院から)

転院してからはすでに2ヶ月以上経っていました。

(最長180日とあっても)

リハビリの経過や体の改善も思うように進まず

病院側としての考えは次の段階に早く移してほしかったのでしょう。

 

私の考えたプランは

リハビリ病院をでたら一旦、

ほかの場所(施設)に移り

今より少しでもよくなれば外出許可をもらい

何泊かで自宅に帰れるようにすることが

最善だとその時は思いました。

 

 

父が気兼ねなく

少しでも穏やかに過ごせる場所探しです。

 

近隣の老健(介護老人保険施設)や

特養(特別養護老人ホーム)の見学と

パンフレットで取り寄せていた

介護付き有料老人ホームやサ高住の見学に!

ハンドルを握り!ひとり施設をあちこち奔走する日々でした。

 

色々な施設の雰囲気を感じながら

父が気に入ってくれそうな場所をいくつかに絞りこみました。
 

またこの期間に購入した便利アイテムは

車いす用のクッション!

(腰にあいた隙間を埋めるためと

褥瘡の痛みが少しでも和らぐようにするためです)

 

自力での寝返りが難しかったため

父は仙骨部の褥瘡もひどくなってしまい、

ほんとうにかわいそうでした。

 

体の節々も痛いと言い始めていたので

もうひとつのアイテムは

「ケープ介護用グローブ」です。

 

 

 

 

 

 

腕に通すとこんな感じです。

(肘くらいまであります)

 

 

 

 

ベッドと寝ている父の体の間に

(ナイロン100%で)スルッと入るので

ちょっとした体位変換や

腰や背中をさするのにとても助かりました。

 

 

たたむとハンカチくらいです。

 

病院へ行くときにいつも持参していたもののひとつです。