今日、1月17日はあの悪夢の様な阪神大震災が起こった日。

あれからもぅ21年が経つなんて…

私の住んでいたのは神戸の中心地で、まさに震度7の一番被害が強かったところでした*namida*

当時、戦後最悪の都市直下型大地震あせる



家がジェットコースターになった様なありえない揺れが終わってからは、あちこちで鉄筋コンクリートのビルがまるごと横に倒れ、屋上に上がって周りの景色を見渡すと、いたるところに火が上がって、どこも水がストップされているからただただ燃え広がる炎を見つめるばかり…

あんなに美しかった神戸の街が色褪せていくように煙と灰でどんよりグレーに染まっていく空、あちこちに見える真っ赤な炎、充満するガスの臭い、泣き叫ぶ人、不安に包まれる人々…

まだ小学生だった幼い私だけど、本当に生き地獄の様な、この世の終わりの様な気さえした不安で押し潰されそうだったあの日。

地震後なかなか繋がらなかった電話で何度も親戚に電話をかけて、声が聞けて安否を確認しては涙が出る程ホっとして。

唯一情報の入るラジオからは、阪神高速が倒れたり、長田方面が火の海だとか信じられない被害状況が次々と放送されて更に震えが止まらなくなった。

テレビが繋がってからはリストアップされる亡くなった方々の名前を食い入るように見て、まだ連絡の取れない親戚や友達の名前がないか必死で確認して…

毎日、300人、1000人、2000人…と死者や行方不明者が増えていく新聞の一面。

水道・電気・ガスのすべてのライフラインが断たれて、毎日水を汲みに行ったり、配給の食事を頂いたり、夜は家族でろうそくを囲んで寒い夜を過ごしたなぁ。

お気に入りの勉強机も、大好きだったピアノも、大切な宝物も壊れてなくなってしまったけど、家族皆命が助かったのが幸い。

地震後何年かは復興がすごくて、あらゆるところでビルの再建が進み、工事だらけの街中でアスベストが舞ってとにかく空気が悪かった。

分厚いマスクをして毎日登校していたのが懐かしい。

もう神戸も生まれ変わり、何事もなかったかの様にキレイになってみんなキラキラと希望をもって生活しているけど、決して忘れてはいけない風化させてはいけない出来事。

私たちは亡くなってしまった方々の分も毎日に感謝して一生懸命に生きないと☆*+

御冥福をお祈りします。