もうすぐ3週間。
気持ちの整理として書きました。
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華ちゃんが死んじゃった
いつかは覚悟していた
1年と4ヶ月前、
去年の2月に悪性リンパ腫になっている。
診断を聞かされ、
何もしなかったらあと2ヶ月で、死んじゃう。って・・・
信じられなかった。
なんとなくね。
病気だって話を聞く前に、一緒に旅行に行きたいなって思ってたの。
そういえば、1回も一緒に旅行したことないなぁって。
虫の知らせってやつだったのか。
病気だって聞かされて、
「急がないと!」
そう思って、すぐ旅行の準備をした
そして、病気に関して、
もう完治はしないと言われ
だから、どういった治療をするか
費用、華ちゃん本人の体の負担、
それら、いろいろ考える
完治しないのなら、本人が1番辛くないのがいい
だって、どの治療をしても、どのくらい生きられるかはわからない
そう言われたから
だから、1番体に負担の少ない
副作用が小さいものから始めて、
様子が落ち着いたので、
治療を始めて、約1年した頃、一旦終了して様子を見ることになった
悪性リンパ腫がわかってから、もう1年も経っていたから、
病気なんだけど、なんとかこのまま、
何とか過ごせるんじゃないかと思ってた
だって、相変わらず食いしん坊でよく食べるし、
散歩も大好きで喜んで行くし、
いつも通り吠えるし、お家の中でも走るし、とっても元気なんだもん
だけど、一旦終了した治療のあと、
1ヶ月もしないうちに、またしこりができて。
以前の治療では、効果が感じられず、費用も副作用も
ともに、負担がかかる治療を始めることになる
抗がん剤の注射は、30分かけて体に入れるため、
病院から帰ってきたら、いつもより疲れていて、大人しい
いつもだったら、帰宅したら走ってお迎えに来てくれるのに、
病院で注射を打ってきた日は、ソファーでぐったりしていた。
翌日には、調子は戻るんだけど、以前よりも散歩にあまり行きたがらない。
だけど、食欲もあるし、家の中では走り回っているから、まだ大丈夫。
そう思っていた
そうこうしていたら、ある日
息苦しそうにいていて、
毎週のように診察にいっていたので、
病院に連れて行くと、肺炎にかかってる。と
即入院。
調べたら、悪性リンパ腫から、抵抗力が落ちて肺炎になる。
ほぼほぼ決まった流れで、そのまま亡くなる。
ネットでそう書いてあった。
そうなの?
突然きた
入院の翌日に病院に行き、面会しましたが、
すごく虚ろな目をしていて、ただ辛そうで。
酸素濃度の高いお部屋の中ですら、ちょっと意識が朦朧としている感じがして、
回復してるようにはあまり見えなかった
その次の日、病院から営業時間外にかかわらず、連絡が来る。
様子が悪化したということで、会いに来てほしいと言われる。
前日よりも、様子はひどくなっていて、呼吸がし辛らそうで、意識がなかった
もう、できることを何でもとにかくやろう。
ずっと技をかけ続けました。
それに反応してか、途中でしっぽが動いたり、
何度か目が開いたりとか、少し変化が見られたが、大きな改善点はなく、
でも、一生懸命、華ちゃんは、私たち家族に何か訴えようとしているのが伝わりました。
先生からは、「この状態だと治療もできないので、後は見守るだけ。」
「今日、明日かのタイミングで、お別れになる。」と言われました。
確かにしんどそうではあった。
家には、酸素濃度が高い場所もないし、点滴をしてあげられるわけでもない。
だけど、あと数時間かもしれない。
だったら、最後はお家で一緒に過ごしたい。
家で看取りたい。
そう思って、家に連れて帰ることを決めました。
一時、今まで聞いたことないような奇声も出して、
「悪性リンパ腫が脳に行った可能性がありますね。」
「家に連れて帰っても、このヒドイ状態を看なくてはならないの、お辛くないですか。」
先生は、母が以前、「華ちゃんのしんどい姿を見ていられない。」
と言っていたのを聞いているので、本当に連れて帰りますかと何度も聞かれました。
だけど、最後は母も家に連れて帰ろうと承諾してくれたので、
意識はありませんでしたか、自宅に意識のない華ちゃんを連れて帰ってきました。
だけど、私の中で少し希望がありました。
今まで私が自分の健康のために使っていたものを、全部使い倒してやろうって。
そしたら、少しは苦しみが緩和されるんじゃないか。
もしかしたら、意識も戻るんじゃないか。
そう思いました。
華ちゃんは、結構自己主張が強いので、嫌な事は嫌!
と絶対にいろいろさせてくれなかったから、
健康のために彼女にできた事は、ヒーリング水を飲ませるぐらいだった
直接何かを塗るとかは、何かを察知して触らせてもらえなかったから。
でも今回は意識がなかったから、華ちゃんを電位治療器の椅子に座らせて、
ひたすら肉球に成長ホルモンが活性化するジェルを塗りまくって、
口元に酸素を送って
そしたらね、奇跡が起きた。
1時間か2時間か、
意識なかったのに、目が開いた
そして起き上がった
びっくりしたのは、歩き出したの
どこかに向かって
そしたらね。トイレに行ったの
トイレで、おしっこシートの上でしてるの
びっくりした。
まだ、意識はもうろうとしてるのに
よろよろ歩きながら、トイレ行って、ちゃんとおしっこシートの上でおしっこしたんですよ。
けなげすぎて、嬉しくて、涙でた
そして、意識戻って最初、お水も飲まなかったけど、
お水を飲むようになって、びっくりするほど、ずっと歩いて
お家の中、よたよたしながら
そして、自らいつも寝ているソファーの上にも乗りました。
そして自分から、電位治療器の椅子にも乗りました。
どれの何が効果的だったのか、わからないけど、
病院から連れて帰った時は、あと数時間で亡くなるかもしれない。
と覚悟してくださいと言われたのに、意識が戻って、
一緒に四日間過ごせた
立ってる状態、座ってる状態でも、
頭は上げていて、フラフラして、倒れそうになる。
だけど、倒れそうになると、ハッとまた意識を取り戻して、頭を上げる。
いつもだったら、横になって寝てばっかりなのに、
まるで、「寝たら死んでしまう。だから起きていなくちゃ」
そんな感じに見えて、一生懸命寝ないように、起きようとしていました。
それぐらい、いつも1日の大半を寝ているのに、ずっと起きてて。
夜中になっても、そばにいる私たちの方が眠くなって寝てしまっても、それでもずっと起きてました。
朝方になって、観念したのか横になって寝ていました。
ちゃんと息はしてました。
その時、「大丈夫だよ。寝ても死なないよ」
って声をかけました。
そして、私たちがご飯を食べていると、なんとなく興味を示したので、
食欲が出たのかなと思い、少しだけご飯をあげました。
ちょっと、がっつくように食べました。
でも、まともに食事をとってない中で、急にあげたらイケないと思い、
少量だけご飯をあげました。
そして、それが最後の食事でした。
それからは、水をたくさん飲むのみ。
いつも通り、私たちが飲んでいるコップに顔を突っ込んで、お水とかお茶を飲んでた。
コップで飲む方が、おいしそうに飲むんですよね。
お水、たくさん飲むんですよ。
そして何回でもトイレ行くんです。
肺炎になる前に、膀胱炎にもなってて、トイレは何回も行くけど、量がしっかり出せないから、何回も何回も行くんです。
そのたびに、よたよた歩きながら
でもちゃんとトイレに行くんです。
そんな感じでお水は飲むけど、食事は3日取れなくなってました。
だから体力が落ちたのか、力が抜けて倒れ込むこともありました。
もう起き上がれないのかなと思ったら、休んだら起き上がったりもするし、
大丈夫かな。どうなんだろう。
気力だけで生きている感じ。
日中は、様子が見られないから、仕事のお昼休みに、帰宅して様子を見に行っていました。
そんな中、勉強会や交流会があり、遠方に行くのに二日間家を空ける予定になっていたんです。
だから、「お家に帰ってくるまで、頑張れる?」って聞いたら、
「もう無理」
って言われた気がしました。
夜行バスで出発するその日の昼、
「もう無理だよ。ごめんね。行かないで」
と、言われた気がします。
お昼休みに様子を見に行くと、様子がおかしくて、ずっと背中をさすって
「無理しなくていいよ」って声をかけて、
「ありがとうね」って声かけて、ベッドに乗せようと体に触れたら、大きな声で吠えた。
とても息苦しそうでした。
でも吠えるって、まだ意識があるっていうか、エネルギーが残ってるのかなって思った。
だから、また少し時間をおいたら回復するんじゃないかと。
でも、家を出て数分後に、亡くなったと電話がきました。
さっきのが最後のひと鳴き。
最後の力だったのかもしれません。
もともと遠方に行くためにとっていた二日間は、全ての予定をキャンセルして、
華ちゃんと過ごす二日間になりました。
いつも抽象度を高く、感情に振り回されるな。
とか、感情をコントロールする。とか言いますけど、
今はあえて、この地球に生まれて、
人間として生きて、この感情があるから、
人間らしいこの感情を味わい、この感情にどっぷり浸かる。
あえてそれを選択します。
火葬して華ちゃんが骨になったら、本当に思い出だけになる。
でもその前に、亡くなっちゃったけど体があるうちは、
声かけて抱きしめて、握手して、「ありがとう」って言って、
「寂しいよ。」って気持ちをとことん悲しんで、味わいます。
華ちゃん大好き。ありがとう。
たくさんたくさん 愛をありがとう
家に来てくれて、一緒に過ごしてくれて、ありがとう。
だいすき。
また会おうね。