毎日 寒くなりました。
もう 11月もいよいよ今日で終了します。
2023年も残りわずかになりました。
いつの間に1年がすぎたのでしょう。
年々 はやくなっている気がします。

 

ここのところ
ますます重要な質問が
MARTHのもとに
世界中から届きます。

非常に重要なQ & A になっています。

人類の問題
勝ち負け 競争世界の観念のことです。
 

 

『 MARTH Questions & Answers Vol.303』

「質問:

勝ち負けの競争世界での観念は、

過信、うぬぼれ、傷つけあい、殺し合い、騙しあいの、必死に塔に登ろうとする劣等社会を作ってしまうからなのだなーと、つくづく感じました」

 

 
 

 

Question1:
イザヤの手紙の映画を見ました。
その中で、“おのころ”の意味が、
自我を疑えという意味であることが出てきます。
その価値観が、美しきイザヤさんの人生であると、
サルタ王が言います。
一体なるエデンを出た人々の作る、悲しみの人生。
自と他の分かたれの価値観をもとにして築かれた、
勝ち負けの競争世界での観念は、

過信、うぬぼれ、傷つけあい、殺し合い、

騙しあいの、必死に塔に登ろうとする
劣等社会を作ってしまうからなのだなーと、

つくづく感じました。
そのことについて、お伝えいただけませんか…?


MARTH Answer1:
必死に自我を強め、生きる自分
その自分を守って戦い続ける人生…。
それこそが、比較の悲しみを強く持った競争世界のつらさですね…
それは、勝ち負けの価値観の破滅性であり、
一体なるエデンを出てしまった人々の悲しき末路であり、
苦しみなのです。
そのすべての誤った、比較のハラハラドキドキした人生の価値観
から、その競争から出ることこそ、最高の繁栄であり、
真の成功であり、真の幸せ、豊かさであり、癒しであり、
至福であり、美しさなのです…。

 

 

Question.2:
この勝ち負けの価値観の世界で、
もう、うんざりだとリーダーたちが気づいたら、
世界は変わるのでしょうか?

MARTH Answer2:
すべての人が、自と他というその勝ち負け、
競争世界の根本的価値観から出なければ、
一体なるエデンへ帰ることはないでしょう。
その分離の価値観は強力です。
自分がいて、他があるという信念。
負けたくないという悲しみ。
本当は、一体である万物すべてが自らであるという気づき、
エデンの人々の想いとは、大きく違っているのですから…。
この勝ち負けの社会で、
自我の強いところを見せれば、
みなが尊敬したり、ついてくるようでは、
競争世界は終わらないことでしょう…。
エデンの人々は、自我の力や強さ、
要は、地位や名誉、財力、権力といった、
他を支配する、神の嫌う分かたれの力を醜きものとさけてきました。
そのような分離自我の世界の悲しみに、
みなが気づけるとよいですね…。

もし、世界が競争世界でなかったら、 

大樹の種はどのように育つのでしょうか…。
 

 

『世界が競争世界でなかったら、 

大樹の種はどのように育つのでしょうか…。』
 

世界が分離世界ではなかったら
世界に勝ち負け 競争は存在しません。
世界中の人たちが
勝ち負けを習うことなく
この世界が一体の愛の世界だと

習うことができたなら

全人類が大樹として
この地球という星を

うめつくしていたことでしょう。