ここ数日
秋色が色濃くなってきました。
黄色や赤

色鮮やかに染まった木々たちの
目の見張る美しさに
息をのむ
というのは
まさに こういうことを言うのだなと
しみじみと
見入ってしまっています。

 

自然界は

本当にそのままで美しい…

 

 

そんな中 先日
MARTHのたわごとの撮影してきました。

 

 

Question1:

私は、ニューエイジ、いや精神世界の中で、

ヨガのチームをひっぱってきました。

しかし、MARTHさんの言葉にふれるたび、

もしかして、自分たちは、

勝ち負けの観念からまったく自由でないのではないかと、

感じはじめたのです。

世界中の光がわの人がやはり負けず嫌いで、

分離自我から自由ではなく、苦しんでいると、

今では感じています。

MARTHさんのおっしゃるように、

世界中の人々が一体性に深く気づき、

その目覚めによって、

自我の終焉に今、本気でみなで目覚める時ではないかと

思うのですが、どうでしょう?


MARTH Answer1:

おっしゃるとおりですね… 一体の世界の中で、

自と他という分離自我の観念が終わらなければ、

当然メディテーションは良くなりませんね…。

 

 

Question2:

Marthさんにお尋ねします。

今のこの世界が

競争世界、勝ち負けの世界であるということは、

エデンのような一体性がないわけですから、

あらゆる人が争い、戦い、競争、自己拡大、

自我の醜さにさいなまれていくのは、

必然なのではないかと、

お話を聞いていて、最近気づきました。

それについて、お話しください。

.

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MARTH Answer2:

わかりました。

大切ですね…。

 

 

Question3:

MARTHさんのお話を聞いていて、最近つくづく思うのですが、

わんわんとか、お牛さんとか、あらゆる動物さんたち、

人間がえらいのか、動物がえらいのか、

どっちかわからないな、と思うのです。

今までは、人類は、人間がえらいのだとか、

大人がえらいのだとか、支配したり、過信したり、

うぬぼれたり、優性なんだとか言って、偉そうに自己拡大したり、エリートだ、すごいんだと言って、本当に醜い。

そして、わんわんたちを大切にしない、

牛さんを蹴ったり、本当にひどいことをする。

そのような醜い人類が、本当にやんでくれたらいいなって

つくづく思うのですが、どうでしょうか?

.

.

MARTH Answer3:

おっしゃるとおりですね。

本当に、大自然、動物たちは美しいです。

なぜなら、自我の人間の影響を受けた、

分かたれの我が人間のように強くないから、戦ったり、争ったり、ケンカしたり、殺し合ったり、騙したり、

うぬぼれたり、過信したり、強がったり、演技をしたり、

なりすましたりしない。

だから、動物たちは美しいのです…。

一体の意識の上では我々の先輩であり、

愛のある上級なものたちなのです…。

子どもたちも、万物から出てきたばかりで、

勝ち負けの世界に条件つけられていない、

ピュアでエデンに近い、美しい存在なのです…。

 

 

Question4:

Marthさんにお尋ねします。

意識が高いとか、癒しの力があるというのは、

どのようなこととなるのでしょう。

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MARTH Answer4:

意識が高いというのは、

他にやさしい、他を思いやる、他に勝とうとしない、

自を拡大したり、良くしようとすることがない。

そのような一体のエデンでの生き方。

それが、意識の高い、癒しの人ということでしょう。

意識の高い人というのが、

強い人でも偉い人でも地位や名誉やお金がある人だとかでもなく、

一体性のある人が、愛ある、他にやさしい人が、

意識が高いのです。

意識の高い人というのは、そのような人たちだけなのです…。

 

『 MARTH Questions & Answers Vol.302』

「ご質問の、意識が高いということは、分かたれ自我が強いことではありません。一体の愛が精神性の開花です…。」

 

 

 

意識が高いということは、
分かたれ自我が強いことではない

本当にそのとおりだと
思います。