「儚き命の詩 」
             Lyrics & Music MARTH

儚き命の詩 君に出会えてよかった
この大地に抱かれて育った 笑顔いっぱい 幼き日々帰らず
愛しき命の詩 この星に出会えてよかった
君を守ってあげたくて 僕はきっとここに生まれてきた
精一杯育まれて愛され、今もあの子は燃える瞳で
上手とは言えない人生を 抱きしめて生きてる


愛しき命の詩 せめて君を癒したい
何も出来ずにきたのだから せめて命わけてあげたい

傷つけあうことにかえて 誰でもきっと抱きしめたい
せめてその手を握りしめたい 誰でも本当はそうしてあげたい

闘うことを終えて 誰でもきっと支えてあげたい
誰でも本当は力になりたい わかりあいたい 勇気を出したい

聞こえるかい 大地の詩 風や空や土や水や木や花や
聞こえるね この星の詩 君がいちばんそう生きたい

闘う武器にかえて 君は花を贈りたい
本当は時代が敵と決めた 彼らを君は抱きしめてやりたい

感じるかい 大地の詩 涙や痛みや悲しみや儚さが
感じるね 大地の詩 それが君の心の詩だから

聞こえるね 大地の詩 山や海や川や星や太陽や
君を傷つけてた すべてを本当は許していたから


1995年にMARTHが
作詞作曲した
「儚き命の詩」が
今 世界中の癒しています。


本当は
世界中の人々が
闘う武器にかえて 君は花を贈りたい
本当は時代が敵と決めた 彼らを君は抱きしめてやりたい
という想いが
奥底に流れていることを
思い出してしまう
そんな時代なのだということを
世界中の方々からの
メッセージで教えてもらっています。

そこで急遽
第2弾の動画をつくることになりました。

すでにレコーディングを完了している
MARTHの楽曲 約2000曲の中から
今のかなしみの時代に
人々を癒すのではないかと
セレクトされたのが
「雨の中のあの日の僕」
 


この楽曲をMARTHが書き下ろしたのは
2004年…
今から19年も前のこと…

 

 

「雨の中のあの日の僕」

             Lyrics & Music MARTH

 

生きることのすべてが つらい人はいますか

僕はそのように 生きてきました

そんな僕のことを 君は笑うでしょうか

こんな世界は こりごりなんだと 

心を閉ざしました

時の中を ゆき過ぎて 幼き日を 抱きしめた

涙して 立ちすくむ 雨の中の あの少年

 

この世界の中では 誰もが傷つきます

比較され 競いあい 育ちます

僕もそれを信じて 闘ってきました

傷だらけになって 倒れそして 

立ち上がり勝とうとした

過ぎ去った あの頃の 泣きじゃくった 

あの子にいま

生きていいと 許していいと 愛していいと

伝えた

僕のことを 傷つけた 人達を 抱きしめて

僕のことを 許してと 言えたなら いいのに

自分のこと 責めないでと伝えたい 

すべての人へ

そう言えたなら その時は 

あたらしい日がくるから


 

この楽曲は、

自と他の苦しみ 分かたれの世界で

世界中の傷ついた同胞たちへ 

MARTHが描き下ろした
美しき問題作です。

 

MARTHが
この「雨の中のあの日の僕」について
メッセージをかきました。
 

 

 

〜雨の中のあの日の僕-に寄せて〜
 

今まで人類は、

一体の愛のまったくない文明の中で
苦しんできました。

それでもなお、

エデンはいつでも、どんなときでも、
君の帰りを待っていました。

 

 

昔、

愛しき 弟子とでも言うのでしょうか。

友がいて、彼のために、この楽曲を綴りました。

 

彼は日本と他国のハーフで、

幼少時、つらいいじめの中、生きてきました。

 

分かたれは世界を覆い尽くし、

互いの傷つけあいはあとをたたず、

人は一体の人生を見誤って、苦しみます。

 

誰もが何千年も一体に気づけず、争いの中、生きています。

自と他、その一部分でしかない自を良くするため、
強くするため、勝つため、偉くなるために、
ウソをつき、自らを叩き、はげまして生きるのです。

悲しみは、背伸びと共に、最大限の痛みをあらわすのです…。

 

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC
 

昔、愛しき 弟子とでも言うのでしょうか。

友がいて、彼のために、この楽曲を綴りました。

 

彼は日本と他国のハーフで、

幼少時、つらいいじめの中、生きてきました。

分かたれは世界を覆い尽くし、

互いの傷つけあいはあとをたたず、

人は一体の人生を見誤って、苦しみます。

 

誰もが何千年も一体に気づけず、争いの中、生きています。

自と他、その一部分でしかない自を良くするため、

強くするため、勝つため、偉くなるために、

ウソをつき、自らを叩き、はげまして生きるのです。

悲しみは、

背伸びと共に、最大限の痛みをあらわすのです…。

 

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC
 

分かたれの自と他の世界

二元的世界の苦しみは、人々を本当に傷つけてきた。

今では、人類はみな愛しさを失い、

戦いの日々しか、

まるで人々にはないかのようにまで見える。

 

人の幸せは、一体性の中にしかあらず、

一体なるエデンは、みなが戻ると待っている。

 

エデン 一体性に人々が帰る、

美しき神が真に望むあらたなる世界へ…。

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC
 

自我が自分を良くさせたいと願う悲しみは、

万物の一部の自己拡大の悲しみであり、

世界を闇にまでしてしまった。

ウソと偽善。

モーセがなぜ、最大の問題としたか。

それは、

自らを破壊する自己保全の極みの行為であるからであった。

その自らにウソをつく痛みは、

自らの命さえも絶ちたいと願うほど、

強力なものであり、苦しみの極地のなげきでもある。

自分を守ろうとする自我は、

より自らを守れないようにしてしまう。

自らをより苦しめて、目覚めるようにはからい、

人々を愛へ戻そうとする。

世界は、何千年にわたり、そうあってきた。

自らをより良くする法は、

自我の恐れを、私などいないと終えてしまうことである…。

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC

 

悲しい 愛しい 切ない想い。

人類は、本当は一体であるのに、

そう生きれないできた。

誰もが一体であることを知らなかった。

それゆえに、それは罪とも言えない。

わざとじゃない。

世界は、分かたれの価値観をつくづく広げてきた。

誰もがそれを信じた。

なんと悲しきことだろうか。

これ以上の悲しみはあるのだろうか。

自らと一体のものを傷つけ、滅ぼしてきた。

それが、悲しみのエデンだ。

こんなふうになってしまうなど、

神はまったく想像もしなかっただろう。

神はただ、子どもたちが喜ぶような楽園を創っただけだ。

エデン私たちのエデン人々は必ずそれを取り戻すだろう。

そしてそこへ帰るだろう…。

雨の中の 泣きじゃくる君のように…。

 

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC

 

人類が真に幸せに、平和に、至福で暮らすには、

たったひとつの方法しかない。

それは、全人類が一体性に気づき、

すべてのものを一体の自らと思い、

大切にして生きることである。

それ以外に、幸せは用意されていない。

神は、それを用意した。

それがエデンだ…

楽園は、一体の価値観の中にある。

そのことに、今人類は、目覚めようとしている…。

 

 

 

 

これから
「雨の中のあの日の僕」の動画を制作していきます。

世界はエデンを待っている…。