『MARTH Questions & Answers Vol.286』
「人類にとって、一番大切なものは、一体性の愛ですね。

それが真の科学であり、それがないと、誰でも人生が苦しみにまみれ破滅してしまいますね。」

 

 

Question1

MARTHさんのおっしゃる 
今までの人類の観念というか価値観は、

自我や自分という万物の一部分が突起すること、勝つこと、

比較しあって、よくなることがいいものとされ、

エリートとかの突起を目指す、恥ずかしい文化でした。

自我特有の大物とか、すごいと思われたいとか、

今思えば恥ずかしいです。

自我の突起のそれは、一体の愛から それ

あらゆる苦しみにさいなまれていってしまうことだと

おっしゃることにびっくりして ずっと感銘していました。

できるかどうかは別として、そのことについて、

詳しくお伝えいただきたいのですが…。

 

MARTH Answer1:

そうですね 本当に……

人類にとって、人にとって、

一番大切なものは、一体性の愛ですね。

それが真の科学であり、それがないと、

誰でも人生が苦しみにまみれ、破滅してしまいますね。

 

 

 

Question2:

勝ち負け、競争、比較といった、

分かたれを信じた愚かな悲しみの

自己拡大の歴史 人類の間違った観念からくる苦しみを、

どうあらためることができるのか。

つくづく、大きなため息がでてしまいます。

人類の価値観は変わるのでしょうか。

自分を見ても、難しい気がしてしまいます…。

 

MARTH Answer2:

本当にそうですね。

一体の科学的真実を取り戻す大々的目覚めを

みなで促する時代ですね。

共に愛の真実を伝えてゆけたら、

きっと美しい愛の未来が見えてくるでしょう…。

 

 

Question3:
この世界が一体であると気づけない人類は、
ただただ日々、争い、ケンカをし、
戦い、比較し、うぬぼれ過信し、劣等し、哀れなことです。
どうしたら、万物すべてが一体であるということに、

一元性に人類は深く気づけるでしょう?
MARTHさんに、そのことをおたずねします…。

MARTH Answer3:
ブームとか、流行りということがあります。
今までなかったものが流行るという…。
また、すごいブームが来るということがあります。
それにはフォトン、電子が からんでいるようです。
そのような意味で、一体である、
ひとつである、つながっている。
そのような愛のブームが来て流行るなら、
そのような価値観がどんどん連鎖して流行ってゆくと、
世界は良くなって、地球は良くなって、

人々が幸せになって、
争いは消え、自己拡大は消え、
競争が消え、どんどん、どんどん
愛しみが増えてゆくのではないでしょうか。
そのように感じてなりません…。
あらゆる人々が、

一体であるということに目覚めてゆくということは、
素粒子レベルに対して、電子レベル的に、

フォトンにおいて、大変な影響力がでてくるでしょう。
世界中の人が目覚めてゆく

100匹目のサルとなることは必然です。
ですから、皆さんが目覚めてゆくということは、

ひとりではない。
ひとり100人は目覚めさせることが可能だといっても
よいのではないでしょうか。
そのように、一体に気づくことで、
自我の分離の愚かさ、ダメージ、問題点をみんなが気づいていったら、
まったく新しい世界のムーブメントが生まれてゆくことは必然です。
競争や比較、ケンカや争いは、
いかに科学的に愚かなことであったかということに、
人類はつくづく気づくなら、
エデンに戻ろうと、

エデンを出されてしまった悲しみから
立ち直ってゆくのです…。
 

 

人類にとって、
一番大切なものは、一体性の愛ですね。

それが真の科学であり、それがないと、誰でも人生が苦しみにまみれ破滅してしまいますね。


本当にそうだなと
それ以外に
重要なものはありませんよね。

今は真実の情報を
見つけ出すこともできます。

 

今までの人類の観念というか価値観は、

自我や自分という万物の一部分が突起すること、

勝つこと、比較しあって、よくなることがいいものとされ、

エリートとかの突起を目指す、恥ずかしい文化でした。

ある意味
その極限が今だと感じています。

人類にとって、
一番大切なものは、一体性の愛ですね。

それが真の科学であり、それがないと、誰でも人生が苦しみにまみれ破滅してしまいますね。


本当にそうだなと
それ以外に
重要なものはありませんよね。

今は真実の情報を
見つけ出すこともできます。

 

今までの人類の観念というか価値観は、

自我や自分という万物の一部分が突起すること、

勝つこと、比較しあって、よくなることがいいものとされ、

エリートとかの突起を目指す、恥ずかしい文化でした。

ある意味
その極限が今だと感じています。