暑い…
しかし 
暑くなっています。
 

今日は
福島では
今年初の40度以上…

この気温についても
いろいろな情報はありますが

 

 

昨日
MARTHのたわごとの撮影に
ヒーリングのアトリエに行ってきました。


太陽のひざしは
まばゆいけれど
風が流れ
ひぐらしさんたちが大合唱をしてくれていました。

 

ふと


ひぐらしだと思い
夏だと思い
名称を信じ


未知や神秘を感じられないことを
痛感してしまい瞬間でした。

 

 

今回は
この2つの質問でした。

 

 

Question1:
思考(知識)文明の限界と、
MARTHさんがおっしゃっています。
一体なる万物に、部分部分に名をつけることで、
分かたれの恐れを生むと言われます。
そのことについて、
深く掘り下げていただきたいのですが…。

MARTH Answer1:
思考や知識の分かたれが消えると、自我が消えてゆきます。
メディテーションとは、そのときにある真我の中へ
帰ってゆくことですね…。
この世界の真実は、人は、そしてすべては、
未知なるとてつもないところからやってきて、
このはかりしれぬ神秘の中を生きて、
とてつもない奇跡へ、また帰ってゆくことですね…。

 

 

Question2:

この闇となった世界を、美しきエデンに戻すには、

どうしたらよいのでしょう?

 

MARTH Answer2:

分かたれの自我思考 知識文明からの自由に

人類がみな気づくなら、今、本当は、

どれほど美しき神秘の中にいることを感じ、

至福に満たされた世界となるでしょう…。

 

 

【MARTH Message 】

今ここを、大自然を見て、

私たち人類はそれを自然界と呼んでいるが、

しかし、

真実は未知なる神秘なるものの中、

とてつもなきところであることが、真実であるだろう。

しかし、それをとらえることが、

思考によって私たち人類にはもう

難しくなってしまっている。

思考とはメディテーションの反対のもので、

名称付けされた束である。

それら真実ではないが、妙に人類はその名称を聞き、

納得してしまう。

しかし依然として自然界ではない、

やはり万物自然は、不可思議なところなのだ…。

 

『MARTH Questions & Answers Vol.285』

「この闇となった世界を、

美しきエデンに戻すには、どうしたらよいのでしょう? 」

 

 

分たれの自我思考

知識文明からの解放に
人類がみな気づくなら
今 本当は 

どれほど美しき神秘の中にいるのかということを感じ

至福に満たされた世界となるでしょう…。