『MARTH Questions & Answers Vol.277』
「地位あげますよ 名誉あげますよ お金あげますよ 

いりません 無我なので 」

 

 

Question
MARTHさんがおっしゃるには、
万物すべては一体のもので、
分かたれたと信じたところから生まれた自我の野心や、
自と他という分かたれの誤った観念で、
そこから生まれる争い、競争から、
自己の向上意識、野心のうむハングリーさによって、
そこを搾取され、だまされ、
自我の保全、向上の野心のために
弱きものとなってしまうということについて
その野心のために、
闇に引っ張られてしまうということ
すごく今、興味を持っています。
ぜひ、お話しください。

 

 

世界は
今 本当に極限むかえています
問題は

一体の世界が真実の中で

一体物同士が
競争し 戦争したり
人口削減したりもしている世界です

光も闇も
分離にすぎません

本当の目覚めとは
エデンへの回帰にあるとしか
思えてならないのです。

 

 

最近のMARTHのメッセージです。

 

 

万物すべてが一体であること
それゆえに 自と他という分離は
実際存在しないことを
一体なるエデンの頃の人々は知っていました。

要は、自我の非存在 
また、この世の非現実性までも
理解していたほどに…
目の開いたブッダたちが、何より大切な、
無我や自我の終焉
私などいない ノーマインド等々を伝えるのも
そのためでした…。

腐敗したものから自由になるには、
騙されずに生きるには、
その自我の良くなりたい野心が終わる必要があり、
間違ったもの、正義なきものに 媚びて へつらう醜さも
すべてがその自我の野心から生まれることに、
つくづく気づく必要があるのでしょう。

「自我が良くなりますよ」「人に良く思われますよ」
に弱くなる自分に気づき、
終わらせてゆくことがとても大切です。
そこから、美しき正義は、
闇にまきこまれて苦しみ続けることが、
永遠になきように
生きれるのでしょう…。
 

 

エデンの人々で、

自と他の分かたれ感から来る自己感覚を

強めたいと願ったり、思う人はいなかった。

 

神の部分である、

自の部分を勝たせたり、良く見せたり、

すごいものになろうとするものも、当然いなかったのだ。

 

それゆえに、他と思うものはなく、他と戦ったり、

争ったり、勝ち負けすることも存在しなかった。

 

すべては一体の中、あらゆるものがくつろぎ、

平和に暮らし、美しかった。

 

自我がどこから来て、どこへゆくのかなど、

自分にまったく興味もなく、ただ無我を愛しんだ。

自分が万物と一体なことを楽しんだのだ…。

 

私という分離のない人生は、喜びに満ち、

苦しみから解放された。

異性にもてたくて、良きものに見せようなどと

誰にも思わなかったのだ…。

それゆえに、愛された。

それゆえに、平和な時に満ち、愛が流れた…。

 

 

 

エデンには、自我を、そして万物の一部分を

いい人に見せる必要があると思う人がいないために

誰も 騙す人が いなかった…。

 

美しきエデン そこでは

自分が勝ちたい 良くなりたい 

良く見せたい人を見つけることは

とても困難だった…。






人類は
エデンへ回帰のときを
迎えていると思うのです。

からだが

自然に治ろうとするように

わたしたちは
もう 愛に帰りたい