愛の国 

楽園(エデン)へ帰るために…

 

 

紅林弥生さんによる

ピアノ&シンセバージョンの

音色が本当に

美しい…

 

なぜ
こんなにも
美しい神の音色をつむぐことが
できるのだろう…

 

ため息がでるほどに

なみだがこみあげてくる

 

羽毛のような

そこには空気もないような
そんな繊細なタッチのピアノの音色が
こころにしみわたってゆく

 

 

 

イザ:

2700年ほど前の倭国に伝承される トラの巻

中東から、何百万もの人々が持参した
トラーについて、私は語っている…

 

私が、この美しい倭国へはるばるやってきたのは、

愛しき いとことの想いにあった
そのめいに答えたかったからなのです。

 

神の いや、万物すべてを創造した

その主体の一体性の愛の想いに、
真のリーダーとして答えようとする
彼の一途な願いを大切にしたかったのです…。

 

なぜなら、それこそがこの世界で唯一の
何よりも大切な真実の宝だと
深く感じていたからです。

 

私を含め、何百万もの方々が、

その当時の
真実のトラーを手に、
この国にやってきました。

 

人々は、

そのトラーの巻物を、

“トラの巻”と呼び、大切にしたのが、この国の始まりです。

 

そこには、何より重要なことがしるされて、
この世界が、本当は量子的にも非現実で、

霊的な、一体の夢のような世界であると伝えていました。

 

その、創造の主体が生んだ美しきエデンを、
なぜ私たち人類が追放されたのかという
重大な疑問も、そこで問われていたのです。

 

“彼らは何も知らないのです” という、
すべてのものがひとつであるという、

そのような価値観、そのようなところから逸脱した、

いや、すべてのものが一体なものだと思えなくなった、分離した悲しみのことわりが綴られていました。

 

分かたれた信念。

要は観念、カルマのことですが、

を持ってしまった自我エゴ世界、分離物質世界。

そうですね、

自と他を妄信した世界の思い込みの競争や比較には、真の成功や繁栄や幸せはなく、

苦しみからの破滅に向かう人生しかないのだということがトラにしるされ、
そのために、人は楽園を追放されたことが
書かれていたのです。追放されたというよりも、いられなくなったと言えるでしょう。

霊的力を失ったとも、言えるでしょう。それゆえに、あらゆる目覚めた人々が無我をすすめました。

 

しかし、分かたれ自我を妄信し、その向上、
高揚を求め、自分が、自分が、という分かたれた恐怖から、

エデンを出されたゆえ、

本当は神の夢の一部、一体の夢、一者の夢、愛の本質を持つ、

その子どもたちが堕天使となり、悪魔にもなりました。

 

楽園に帰るには、その分かたれからくる
勝ち負けという、一体の愛を否定する、
自と他の競争意識の価値観を捨てて、
共に助け合い、一体の愛と帰って、その自我の山を降りてゆく、

へり下ると、トラーには書かれていましたが、

へりを降りてゆく、山を降りてゆくというところにしか、愛へ帰ることはできぬとしるされていました。

 

それは形や、やり方ではないのです…。

それは、深き悲しみ、深き悔いる想い、新たに改める、そのような想いが、大切だとしるされていました。

 

それゆえに、私たちも、倭国の方々も、
共に和する一体の世界へ向かうこととしたのです…。


悔いる想い、改めたい願いを支えとして、
エデンに、この世を去るまでには、
エデン(御国)に帰りたいと願ったのです…。

 

それゆえに、そののち、和する愛の国の創造に、

よりみなで共に、強く強く力尽くしました。

みなで共にエデンに帰るために…。

 

子どもたちよ…。

私の子どもたちよ…エデンに帰りなさい。

愛へ戻りなさい。

一体へ帰るのです。

そして、幸せに、神と共に、美しい世界を、

分かたれては、何かの団体ではなく、

国境でもなく、人種でもなく、みながそれぞれの役目を果たし、

愛の世界を共に助け合って、支え合って、創るのです…。

 

                    イザ   ナギ