“愛の国 楽園(エデン)へ帰るために”

ヒーリングアニメーション

第3弾

「イザヤからの手紙 遺言」

 

 

2700年ほど前の倭国に伝承されるトラの巻

 

中東から、何百万もの人々が持参した

トラーについて、イザが語っている…

 

 

イザ:

私が、この美しき倭国へはるばるやってきたのは、

愛しき 従兄弟との想いにあった

その命(めい)に答えたかったからなのです。

 

神の いや、万物すべてを創造した

その主体の一体性の愛の想いに、

真のリーダーとして答えようとする

彼の一途な願いを大切にしたかったのだ…。

 

なぜなら、それこそが

この世界で唯一の何よりも大切な真実の宝だと

深く感じていたからです。

 

私を含め、何百万の人々が、

その当時の真実のトラーを手に、この国へやってきました。

 

人々は、そのトラーの巻物を、

トラの巻として大切にしたのが、この国の始まりです。

 

そこには、何より重要なことがしるされ、

この世界が量子的にも非現実で霊的な、

一体の夢のような世界であると伝えていました。

 

その、創造主体が生んだ美しきエデンを、

なぜ私たちが追放されたのかという

重大な疑問もそこで問われていたのです。

 

“彼らは何も知らないのです” という

すべてのものがひとつであるということから逸脱した、

いや、すべてのものが一体なものだとは思えなくなった、

悲しみのことわりが綴られていました。

 

分かたれた信念(カルマ)を持ってしまった自我(エゴ)世界、分離物質世界(自と他を妄信した世界)の思い込みの競争、比較には、真の成功や繁栄や幸せはなく、

苦しみからの破滅に向かう人生しかないのだということがしるされ、そのために、人は楽園を追放されたことが書かれていたのです。

 

それゆえに、あらゆる目覚めた人々が無我をすすめました。

しかし、分かたれ自我を妄信し、その向上、高揚を求め、

エデンを出されたゆえ、本当は神の夢の一部、愛の本質を持つ、その子どもたちが堕天使となり、悪魔にもなりました。

 

楽園に帰るには、その分かたれからくる

勝ち負けという、一体(愛)を否定する、

自と他の競争意識の価値観を捨て、

共に助け合い、一体となって、その自我の山を下るとき(へりを下る)にしか、帰ることができぬとしるされていました。

それは形や、やり方ではないのです…。

それゆえに、私たちも、倭国の方々も、

共に和する一体の世界へ向かうこととしたのです…。

 

悔いる想い、改めたい願いを支えとして、

エデンに、この世を去るまでには、

エデン(御国)に帰りたいと願ったのです…。

 

それゆえ、そののち、和する愛の国の創造に、

より強く力尽くしました。

みなで共にエデンに帰るために…。

 

 

“私たちはなぜ、エデンに帰れないのかを想う…”



イザ:
万物すべてと一体な、

あらゆる団体やグループに属さない、
もとから森羅万象の一部でとわにあり続ける全人類が

なぜ、エデンを出されたのか?


追放され、罪を犯す人生となったのか?


その答えを知るには、エデンがどんなところであったのかに、気づかれる必要があることでしょう…。


そこは、半霊半物質のところであり、
霊的夢のようなものでできているのに、
物質に(分かたれて)見えるところであるのです。

そして、すべて 神の夢 
シディー(スー・トラー)で創造主体が

創ったところとされています。
ですから、当然一体(愛)で、未知で、
神秘なるところなのです…。


そここそ、無我の地であり、

一体の地、共に生きる愛の楽園の地であり、
あらゆるものがその創造主体の夢の一部であるのですが、
そう思えなくなった、自我化したものたちが、追放されたのです。

エデンは、

地位や名誉、強いもの、勝つもの、支配するもの、

争い、他と信じたものとの競争の地でなく、

逆に塔に登らず、山を目指さず、自我を下(くだ)る、

美しきひとつなるハートのものたちの地であり、

すべてのものが一体で、
役割をそれぞれが担う楽園のことなのです…。


エデンに帰るためには、自我の妄想に気づく
トラーがとても大事だったのです。
スー・トラー
意味ある言葉によって、この世界ができているから…

 

 

 

 

 

「イザヤからの手紙 イザヤの遺言」

は3時間の物語

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