本日 夕方遅く
たわごとの収録に行ってきました…

 

個人的に
今日の質問と答えに
非常に興味がありました

『自我の終焉、私の不在は、

あらゆる問題からの解決であり、解放なのです』

 

 

Question:
MARTHさんがおっしゃる
自我(分離感)からの

素晴らしき解放の喜びについて
国家自我、団体自我、グループ自我、企業自我

人種民族の自我意識からの解放と自由

一体への回帰
あらゆる 知識分かたれの果実からくる
分離自我からの解放による至福と繁栄 

幸せ感について
自我の終焉の素晴らしき体験について
お話しいただけないでしょうか?


MARTH Answer:
自我からの解放の行き先は、
万物すべてとの一体感であるのです。


それを古代の人々は、神と呼んだり、
創造主体と呼んだのでしょう。


自我と呼ぶ“私”からの自由ほど美しき至福はなく
それは

あらゆるネガティブな意識からの解放であり
自由でもあるのです。


自我の終焉、私の不在は
あらゆる問題からの解決であり、解放なのです。


それは、真の悟りであり、森羅万象への
そして、真の本質回帰であるのです。


逆に言えば、あらゆる苦しみの元は、“私”であり、
死すら、私がない時 存在しないのです…。

 

 

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これから世界は、
あらゆる妄想である分離自我の終焉へと向かうことでしょう。

分かたれたと信じる観念から人々は開放され、
苦しみの元である自我の“私”が妄想であったことにも 
科学的に気づきはじめることでしょう。

そして、真の楽園エデンへと帰ることとなるでしょう。
あらゆるエゴの妄想は自然とやみ、
そのための目覚めへの解放の気づきが
世界中で学ばれることになるでしょう…。

 

万物すべては、科学的にも

一体のものであるという

今の私達人類の、誤った分たれの妄想に深く

気づいているのなら

“私”といった自我も、互いの違いも

文化習慣の差も、何ものも問題にはなりません。

 

真実が、万物すべて、借りものであっても

その気づきの上での所有も能力の違いも

一体ゆえに問題にはならないのです。

 

逆にいえば、万物のすべてが、

自らであることも、真実であるともいえるでしょう…。

 

しかし、間違って、分離、分たれを信じて

競争やケンカに明け暮れ

戦いに人生を生きるなら

そのような一体の気づきのない世界をつくるのなら

きっと破滅へ向かってしまうでしょう。

 

 

ですから、今こそ

この世界の一体性に気づいている

仏性、いや 神性をもった豊かなリーダーが

沢山必要であるし

愛ある事業家が沢山必要なのです。

 

美しい人々は

この世界の真実である一体性を学び

苦しむ人々は

妄想である分離 分たれ争い 競争を好んでいるのです。

 

 

世界中の人々が、
そして、子どもたちが
万物すべての一体性に気づき、
愛(わ)する命(あい)を学び、手にできるなら、
あらゆるものの在り方やベースが愛と喜びに支えられ、
美しき世界が展開することでしょう…。

その一体の気づきこそ、
物事のすべての“在り方”というものなのです。
この世界には

和(あい)する(一体性)をベースとした

科学的真実のすべてが一体という良きことへいたる道と
分離戦いをベースとした

悪しき争い、競争の苦しみの道があるのです…。

真実、分かたれてない世界で分離を信じたなら、
誰もが深く迷いの中に沈んでしまうのは必然のことでしょう…。