最高の至福と解放と自由
自我という妄想の終焉
これは
MARTHのたわごとのタイトルの抜粋
昨日の質問
と
あらたな質問と
Question1:
古代世界で
知識や善悪の果実を食べてしまった人類
そこから分離自我が生まれ
それを信じてしまった人々。
そんな中
その分かたれを妄信した支配者たちは
本当は一体物である
他と思ったものから
盗む、取る、騙す、支配する、殺すなど
知らぬとはいえ
大変愚かなことをしてきてしまいました。
その世界は
競争、勝ち負け、劣等、うぬぼれといった
分かたれた自我にさいなまれ
特有の残虐行為をし
自らの神聖さや
万物の神聖さからとことん罰せられ
滅ぼされ、苦しめられてきました…。
神の一部である万物の部分を勝たせる
良くするために地位
名誉、金銭などを与えてくれそうな力ある者に隷属し
悪とまでなる者たちがあとを絶たず
人は醜く苦しんでしまいました。
誰にとっても良くないそのような世界が
未だ続いているような気がしてなりません。
人類は
その妄想から、どうやって抜け出したら良いでしょうか?
MARTH Answer1:
どちらにしても
分かたれ自我から生まれるすべての問題から
自由となり、解放される喜びや至福は、
言葉では表せないほどの美しさであるのです。
分かたれ自我の観念である
自と他が本気で存在するといった観念(カルマ)からの離脱終焉こそ
人類のすべての問題を終わらせてしまう力をもっています。
たとえて言えば、“死”すら、
私の不在によって
私などいなかった
万物から分離した自我などなかった
死ぬ私などいないといった気づきによって、解除されます。
分子の肉体も万物の神の夢の部分にすぎず
自分ではなく
我とは観念にすぎないという気づきは
人類への最高の自我からの自由と解放
のギフトとなることでしょう…。
自我(分離)を疑えとは
そのようなところから生まれた気づきの叡智なのです…。
知識の果実から生まれた
分かたれ自我の観念群からの自由と解放こそ
人類を本当のエデンである約束の場所へと連れ戻す
最高の贈り物であるのです。
ですから、カルマからの自由とは
観念からの自由のことであり
そこからの解放のことであるのです…。
Question2:
MARTHさんにおたずねします。
自分を良くしようとすると
逆に和するがなくなり、愛がなくなり、良くならない。
自我がないと思えば、自分を良くしようとせず、
それゆえに万物からの支援を受け、幸せになる。
人類はそれによってみなが愛へ帰って
幸せになるということについて、
もっと詳しく知りたいのですが、お伝えください…。
明日には
MARTH TVに
アップしますが
個人的には
今回のものが
すべての答え
この世界の根源を
伝えている
人間の根源的原因
すべての答えが
ここにすべて詰まっている
MARTH TV