あれを書こう、これも書きたい、と日々思うのに。人に会って、仕事をして、帰宅して、ごはんを食べて、気絶するように眠って…次の日に目覚めたら色々リセットされている、という毎日を過ごしている。

    

はしょりすぎた。

    

世界が金色に染まったように見える朝の光がまぶしすぎて、カーテンを開けられないよぅと思いながら次の日もまた同じことをして、まぶしがったり(続く)。

   

駅までの道、雨上がりの空気を吸い込みながら、みずみずしく背伸びする(ように見える)植物のみなさんにあいさつしながら歩いたり。ダイナミックな雲の動きに見とれて信号が青になっても気づかず立ち尽くしたり、写真を撮りたいのに両手がふさがってるよー、と思いながら先を急いだり…というようなこともしている。

     

あっ鳥がさえずってる!秋の虫も鳴いてる!空の青いところが増えた(晴れた)!と、いちいち喜んだり。

   

ほんの一部しか書けないけれど、そういうことを、ずっとしている。

    

わたしは、1人でいるのが好きなのだと思っていた。

   

世の中には、見たいもの、感じたいこと、知りたいことがあふれていて退屈することはない。人と居ると、よく分からないことに気を遣ったり(実際はできていないけど)、人には簡単にできる・分かることなのにさっぱり理解できない自分を否定し、嫌悪してしまう上、色んなことが上手くいかなくて、くたびれ果てる。人ってしんどい、1人が楽だ、人が大勢いるところへは行かないようにして、できるかぎり閉じこもっていよう…閉じこもりたい、存在を消したい、透明になりたい、と思っていた。

    

けれどもう、その頃のリアルな気持ちを思い出せない。いつか、そうであったという事実すら思い出せなくなるのかも。その時々の自分をスノーボールか何かに入れて、いくつも並べて、じっと観察できたらいいのになぁ。なぜ、スノーボールなのか?うーん、今ふと浮かんだから!

     

   

先週、以前なら想像もできない体験をした。ヒーリングテラス〈天弓の雫〉のお掃除の日に。

     

友が庭でせっせと植物の手入れをする気配、一心不乱にガシガシと床を拭いたり掃除機をかける様子、笑いころげる声、植物のきらめき、ふりそそぐ陽光、干して熱を帯びた寝具&片付かない布団、4人とも(持参したのが)パンだったランチタイム…

   

一緒に作業をしていても、別々であっても、おしゃべりをしていても、言葉を交わさなくても、相手を感じ、互いの違いにあらためて驚き、吹き出し、笑いころげる。起こるできごともおしゃべりも、すべてが楽しかった。

    

    

   

   

   

    

あの幸せな風景を描写したいのに全くできず、数分間かたまった。うれしそうな植物の写真いっぱいの、ちあきちゃんのブログを、ぜひ。

   

*べついちあきさんのブログ:笑いのたえなかった日曜日^^

https://ameblo.jp/neshamasheli/entry-12626270629.html

   

   

    

今のわたしにとっては、何が起こっても、何も起こらなくても「楽しくて、おもしろい」。あの日の、あのまぶしくてあたたかいフィーリングを的確に表す言葉が見つからなくて目が泳ぐ、そんな自分の状態すら楽しいと感じるのも、おもしろい。

    

幸せって、こういうことかな。愛おしいって、こんな感じなのかな。分からないから想像しようとするものの、やっぱり分からなくて、お手上げで、白旗をあげることすら楽しい。しばらくたってからも思い出しニヤニヤ・ニコニコがやってくるから…マスクよ、隠してくれて本当にありがとう。

   

こんな日がくるなんて、思ってもいなかった。相手を感じ、人と関わることがこんなにも…うれしくて、愛おしいものだとは。

   

人のことが分からない、人がこわい、何を言っても(しても)誤解される、できるだけ関わらないようにしよう、透明になりたい、気配を消したい、つらい、分からない(できない)自分がいけないんだ、何も楽しくない、生きるってしんどい…

   

ゲラゲラ笑ったり、楽しいと感じた瞬間もあったはずだけど、人生のほとんどの時間、何をしていてもつらい、苦しい、と感じ続けていた。生きるためにと、色んな感情を麻痺させていた。

   
よりよい人間関係、円滑なコミュニケーションを実現するための最適な方法を探して、占いの類いとか、スピリチュアルとか精神世界とか、いろんな思想ものとか、対人関係とか、色んな書籍を読んだり、その道の人に会ったり、あちこち突き進んではやっぱり違う、これも違う…を繰り返し、ついには仕事や人間関係をいっさいがっさい失うことになったわたしが(いま思うと、失ってなどいなかったけれど)。

   

分からない自分に失望し、すべて自分が悪いのだと全否定し続けてきたわたしが。
     

頭の中がお花畑化するに至った…社会では出会えないあたりまえの人間関係、1人として同じではない本質というもの、自分らしいということ、人生の流れを知ることができた《本質的な叡智のバトン》を体感したのが、上述のヒーリングテラス〈天弓の雫〉という空間だった。

   

*そらさんのブログ:人生のことを知る場《本質的な叡智のバトン》
https://ameblo.jp/sora-ni/entry-12372375405.html

    

宗教じゃないの?変な思想を教えこまれるんじゃないの?と身構える気持ちはよく分かる。社会において、わたしもそうだから。

   

思いきって一歩を踏み出す、勇気を出す、それってきっと、すごく怖いことなんだろうなとも思う(ごめんなさい、これについては分かりません。知りたくて、飛び込んでいってしまうから)。

   

どうしても、わたしは的確に語れないので…今、出雲でおこなわれている《本質的な叡智のバトン》の模様を毎日毎日、伝えてくれている友のブログを読んでみてほしい。

    

鵜飼秋子さん

https://ameblo.jp/fuwarikotonoha/

   

Yuka Nakabeさん

https://ameblo.jp/synchro-serendipity/

    

相手のことも、自分のことも、事細かに書かれていて。月並みな表現だけど、すごいなぁすごいなぁ、と思いながら楽しみに読んでいる。

   

もし何か響くものがあったなら、記事をさかのぼってどんどん読んだり、紹介されている友のブログを読んでみてほしい(わたしはそうしました。いくつも、何度も)。

    

分かりたくて、理解したくて読んでいるのに、さらに分からなくなって困惑するかもしれないけれど(わたしは、そうでした)。実際に《本質的な叡智のバトン》に参加して体感することは、知ってみるとあまりに普通でありながら、社会では出会えない衝撃的なもの。そっかぁ!とお腹の奥の奥に染み入る感覚は、今までに経験したことのないものになるはずです。

   
またしても、出発点と着地点が予想外の方向へ…。なんでかなぁ、仕事では書けているはずなんだけどなぁと頭をひねりながら、雨上がりの空気を吸いに、ちょっとお散歩してきます。

   

お仕事シリーズは、またねー。