聞こえるのは、秋の虫の大合唱のみ。とても静かな夜である。

 

この春までは、虫の気配がしただけで息をのみ、周囲の人たちが引くぐらい怖がっていた。虫の大合唱なんて、それだけたくさん虫がいるってことでしょう?と寒気が走る対象だったのに、透き通る音色に聴き入りながら、コーヒーを飲むまでになっている。びっくりである。もし虫の姿が見えたら、さすがに息をのむけれど。

  

*過去のブログ:虫が恐ろしかったのは?

https://ameblo.jp/kaori-191210/entry-12602387746.html

 

  

ちがーう、そのことが書きたいわけじゃない。今日も、お仕事シリーズ(?)だ。好きなことを仕事にするのは本当に幸せなの?幸せって何?という話。

  

社会に出て、初めて働いたのは百貨店。営業部門(当時の花形はファッション、服飾雑貨、化粧品など)を支え、売上を獲得し続けるための様々な戦略・戦術を立てるバックヤード部門で、企画や宣伝を担当していた。

 

そこで、デザイナーやコピーライターの先輩方に出会った。

 

入社するまで、全く知らなかった世界。好きだった国語と美術で生きていけそうな世界があると知り、もしかすると生まれて初めて、わたしの目に力が宿ったんじゃないかと思う。おもしろそうだと。

  

広告はラブレターなんだ、1人に届けるためにつくるんだ、売上がよければ営業部門のおかげ、売上が悪ければ俺たちのせいなんだと教わった。責任重大である。そのうえ、美意識とかセンスとかいうものを身につけて、アンテナを張り、そのアンテナを磨き続けなくてはいけないらしく、「本物を見なさい」とよく言われた。

 

美意識って何?センスって何?本物って何?それらの基準も、アンテナの張り方も分からず、そもそもアンテナがどこにあるのか、どう発動させるのかが分からなかったけど…先輩たちの視線の先を見ようと背伸びしたり、写真集を買いあさったり、美術館めぐりをしたり、色んなお店を見て回るのは楽しかった。

 

そんなある日、コピーライターの先輩に(広告文として整える前の)元原稿を提出した時に「あなたの文章、よく書けてるわ。そのまま使うね」と褒められて舞い上がってしまったのだ。コピーライターになるぞと決意した数年後に退職し、コピーライター養成塾に通って…コピーライターとしての活動を開始した。

  

手紙を書くのが好きだった。作文も、読書感想文も苦にならなかった。国語だけは、勉強しなくても成績がよかった。好きなことを仕事にできて、その道で食べていけるなんて、わたしはなんて幸せ者なんだろう。コピーライターこそ、わたしの天職なんだと信じて疑わなかった。

 

朝も昼も夜もないというつらさの他、突然書けなくなることがあったりと苦しいことも多かったけど…好きだから、こだわりがあるから苦しいのだと思っていた。これは、贅沢な悩みなのだと。天職なのだから、困難も乗り越えていかなくてはと。

 

けれど、2019年の秋、《本質的な叡智のバトン》という場に(ズダボロになって)参加し、そらさんに8年か9年ぶりかで再会した時。

  

そらさんの「あなたは、書くことが好きではないよ。伝えるのも」という言葉で、世界が止まった。

 

えっ?わたし、書くのが好きではなかったの?ずっと、好きだと思い込んでいたよ?

 

*衝撃を受けた時のブログ:〈兵庫・本質的な叡智のバトン〉に参加して。

https://ameblo.jp/kaori-191210/entry-12560242835.html

 

その日の帰り道はかなり混乱していたものの、あぁそうだったのか、と不思議と気持ちが楽になった。たぶん、固定観念か何かがスポーンと外れたんだろう。

 

仕事がわたしのすべてだと思い込んでいたけれど、職業は自分ではないし、仕事=人生ではなかった。

  

一般的には「好き」を仕事にするのが幸せなのだと語られることが多いけど。本当の幸せは…相手にとっての幸せとは何か、常に問いかける先にあると知ってからは思い出すたびに自分に問いかけ、行く先々で(暑苦しく)人に問いかけて いる。

   

 

あぁ、また、このブログを書き始める時点の想定とは異なる文章になっちゃったー。