冬前の体重55kgなんて、小学5年生の時以来の低体重ですよ。


最近は、ちょっと前の事でも、過ぎた事に興味が湧かなくなりました。


だから、痩せる事になった厳密なキッカケや原因は忘れかけているのです。


ひとつは、「恋愛」。


ひとつは、「金欠」。


そのふたつがDNAのらせんのように絡み合って、最大90kgから、最終的に55kgまで、段階を追って体重が落ちました。


勿論、途中減量も自分で意識しましたが、元々、痩せるつもりでは無かったのです。


また、何しても痩せなかったし、痩せないのだと思い込んでさえいました。


詳しい話は私も今結婚を前提にした相手がある身なので、詳しくその内容には触れはしません。


でも、今の「Sさん」や、例えば、市村やすなりさんとかに置いても私が関わった後で、「痩せて贅肉がなくなる」とう現象を目撃しました。


いうならば、私だって同じ要因で痩せたという共通の部分があります。


ああ、それで言うならば岩佐さんもそんな感じかな。


彼女も痩せて来たらしい。


共通要項は、ただひとつ。


「精神面が満たされる」


私だけは、プラスして「金欠」がありますが、それを乗り超えられたのは、やはり「充実」していたから。


「充実」が無ければ食べなくても痩せなかったかもしれません。


実際に食べないと流石に体重は落ちざるをえません。


それは事実。


ただ、他の人たちは、「満たされる事」で運動に励む気になり、結果、痩せたのは共通しています。


そういう私も運動嫌いだと思っていたのに、毎日、1万歩のウォーキング&ゴミ拾いを何ヵ月も続けるモチベーションを得て痩せた部分もあります。


ただ私の場合だけは過度な食事制限がメインなのです。


それだけは、一応、ハッキリさせておきます。


そうですね。


今思うと私の場合は、「詐欺8割」。


後の「2割」は私にお金の余裕を持たせると食べる物に困らないから痩せない為、お金を取り上げられていたのかもしれません。


今思うとそんな気がします。


これは誰にでも当てはまると思いますが、一応、こんな私でも「痩せると綺麗」になるタイプだからなのかな。


考えてみると酷い話です。


確かに昔、職場のマネージャーに言われました。


「痩せたら服を買ってやる」


それで、半強制的に絶食をさせられたのです。


その癖、そのマネージャーの採用するバイトは「美形」ばかりだとか言っていたって事は、一応、私も「美形」の内に入っていた?


とにかく、太っていても「美形」になる原石である私は、「詐欺」に搾取されるだけではなく、「美形」になった私を見たい男性からお金を取り上げられていたというのが現実です。


でも、他の人を見ると思いますよ。


私の中にある「愛情不足」を満たしてくれたら、そんな事をしなくても自分から痩せる位に何かするんじゃないの?


他の人たちは、皆、それで痩せたみたいですよ?


でも、そうさせているのは「私」で、他の誰も私程上手く愛情を「私」に注げていないだけ?


ああ、いやいや、実際に「痩せました」っていうお話でした(笑)。


そう、結局、私も「満たされてやる気を出した側」なのです。


逆境に追い込まれると、返って腹が座ります。


後は「物」ではなく、「人」にお金を使うという事は意外と「満たされる」ものなのです。


相手と良い関係が続けば続く程。


そういう時は「お金」で「愛情」を買って「愛情」を食べているから、「心」が空腹を感じないのでしょう。


お腹が鳴っても「飢餓」は感じず、「身体の現象」としてだけとらえられるから辛さがないのです。


人を太らせているのは、一重に「心の欠乏感」です。


お金を持っている、持っていないではありません。


「心のエネルギー」が満たされていれば、人は自然と運動したくなります。


「嬉しいから」


「心の欠乏」は食べなくても今度は動かない事で「エネルギー」を節約し始めます。


だから、結局、長く痩せなかったり、痩せ難くなります。


「悪循環」


それでも私が痩せたのは、そこに「愛情」があったからだと思います。


後は「目的意識」かな。


障害者年金が出るまでの間の「金欠」をどう乗り越えるかを考えて、実行して、やり遂げるのは一種の「頭脳ゲーム」です。


何度となく繰り返した故に、ちょっとやそっとでは絶望しません。


「乗り越えます」


自分の場合や他の人の痩せて行った様子を見て来て思いました。


「人」は「人」により生かされている。


そして、「人」は「愛」によって変化して行く。


「体型」も「性格」も「生き方」すらも。


「お金」や「物」のせいじゃない。


世の中は「北風と太陽(イソップ童話)」。


痩せさせたかったり、何かさせたかったりするなら「強制」より「理解」です。


結局は「理解」を示し、「愛情」を与えた者の元に「全ての良い結末」は訪れるのです。


少しでも「強制の心」が吹いて来たら、その旅人は、あなたの元を去るのがオチなのかもしれません。


ご視聴、ありがとうございました。