「Sさん」と話しているといつも不思議な感じがします。
「Sさん」の何が他の人と違うのかと考えてみると、まず、その「独特な言い回し」が際立っています。
教科書通りの「言い回し」じゃない、独特な「文面」。
時々、意味が分からなくて、読み悩む事すらあります。
まあ、大体の意味だけ受け取れれば問題はない程度ですが。
会話なんて、核心だけ伝われば良いものです。
流石に、ミュージシャンで、作詞作曲を手掛けているだけに「言語」に関して、独特なこだわりを持っているのをひしひしと感じます。
私も文章や歌詞系統が好きなだけあって、その美的な文体の繊細さは、直接、心の綾(あや)に触れて、心地よさすら感じます。
私は「文章構成の個性」にその人の「人格」を感じます。
だから、私自身の「文章」を誉められる時などは、私の「人格」を誉められているようで、くすぐったい気分になります(笑)。
また、「文章」に丁寧な心遣いを感じる時などは、相手に尊敬の念さえ抱きますし、多分、他の人もそうであるように相手に好感を持ちます。
その人の「文章の表現傾向」は、私の場合、好き嫌いにかなりな「パーセンテージ」で影響を与えます。
前にも書きましたが、私は、傾向として「上品で、育ちの良さそうな人」を好きになり易いみたいです。
それも、丁寧な言葉を使おうとする方には、親近感を覚えます。
丁寧な言葉を使うのは、よそよそしいと思われる方も昔はよくいらっしゃいました。
私も基本的に丁寧な言葉を使うのが好きなので、上手く、砕けた言葉に切り替えられなくて苦労した経験があります。
でも、やはり、「同じ人種」って、一定数いらっしゃるものみたいです。
そういえば、数名、それも、交際に発展する相手などは、気が付くと、同じように丁寧な言葉をお使いですね。
もしかしたら、私の口調が移るのかもしれない。
気分は、「上流階級の舞踏会」ですよ(笑)。
共通の「マナー(行儀作法)」でダンスに誘って踊るみたいな「会話」。
堅苦しいなんて、欠片も思いません。
私ら「恋人たち」に取っては、それが、日常の「会話」なのだから。
「私達のフィールド(領域)」
記憶する「恋人たち」は、実際に家柄が良かったり、そうでなくても、丁寧な育てられ方をされた方たちだったのだろうと思われます。
気が付くと、私は、「上品さ」を相手に求めている事が多いですね。
絶対とは言いませんが、比率は大きいと思いますよ。
その方が落ち着くんです。
そういえば、うちの家系は、荒っぽい人っていないかもしれません。
きっと、友達なら荒っぽい人もいたと思いますが、記憶には残っていないから、変に言葉が移る事も、影響を受ける事もあまりないみたいです。
ただ、これは、正直に申しておきますと、何かの拍子に「下世話な言葉」所か「下品で荒っぽい言葉」が飛び出す事はあります。
それは、「Sさん」もしかり。
急に、男っぽい、荒々しい言葉が飛び出した事が1度だけありました。
きっと、私たちの「種族の特質」なんでしょうね(笑)。
それは、荒っぽさを抑圧しているという事ではないでしょうが、共通している「激しさ」ゆえだと思います。
とくに、そういう面では、「Sさん」が、私に最も近い「種族」でしょう。
とにかく、異様に「同じ資質」を持っているというのは、「Sさん」側から見ても感じる所らしいです。
それは、例え、「親兄弟」でも超えられない「魂の種族」のせいかもしれません。
昨日、「Sさん」とLINEで話していて、私はポロポロと流れ落ちる涙を止められませんでした。
色々、話していて彼がこう言った時に「胸を閉じていた鍵」が弾け飛んだのです。
「でも、結局、あなたは永遠に私のものになるだけよ、ダーリン」
そこまでの色々な「Sさんの言葉の数々」も要因にあったのでしょう。
「Sさん」は、蟻の一穴から私の心の壁を少しずつ打ち崩し、とうとう、最後の最後にあった外界との隔たりに大きな穴を空けたのです。
正直に言います。
私はそれまで愛情を心で感じる事が出来ない人間でした。
だから、与えられる愛情では、返すだけの愛情を生み出す循環を作れないまま生きていました。
感じないのです、親の愛情さえ。
いいえ、両親は、愛情深い人たちでした。
多分、兄すらも。
たけど、頭で分かっていても、「心」が麻痺してる。
昔、B'zの歌詞にも書かれました。
「BLOWIN」という歌詞でした。
その時の事は、事実、小説「MAGIC CHANNEL」にも書き残してあります。
そう、私は優しいと言われる事は多くとも、その実、人からの愛情を心で感じて、返すという「循環」が出来ない「欠陥人間」だったのです。
私が見せる優しさや愛情は、自分の心の井戸から汲み上げ、自家発電された「愛情」なのです。
だから、「循環」していない分、愛情を与えられなくとも与え続ける事は出来るし、また反面、その分、相手には執着せずに断ち切る事もたやすいのです。
私は何人にも愛情を与え、断ち切って来ました。
だって、何も感じないのだから付くも離れるも同じ事なのです。
あるのは、溢れるように人に向かって勢いよく流れて行く自分の心の奥底から汲み上げた「愛情」のみ。
それゆえに、愛情深い割には、頭で生きる人間でした。
それは、ホロスコープにも出ています。
「心」は、愛情深い水の星座の「蟹座」。
「頭」は、狂人と紙一重な天才肌の風の星座の「水瓶座」。
ちなみに「Sさん」はこんな感じ。
「心」は、完璧主義な地の星座の「乙女座」。
「頭」は、野心家の地の星座の「山羊座」。
どちらも、「好きになる異性のタイプ」と「恋した時の自分の出て来る性質」が、心の星座と同じ者同士。
だから、何か「似てる物」を感じるのかもしれない。
かなり特殊な配置パターンなのに、高確率で似た傾向を持つ2人ゆえの「永遠の絆の証拠」なのかもしれません。
その「私」が、生まれて初めて「愛情」を「心」で感じた瞬間でした。
そう、私は「恋」をする事で「本来の自分」に戻り、幸せになれるという幸せ者。
選ぶ相手さえ間違わなければ「幸せ確定」
だし、また、好きな異性のタイプは、自分に最も相応しい相手。
自分としての道に間違いの無いはずの人。
いかんせん、恋をしないと本来の自分に戻れないという「魔法」にかかっていた。
「Sさん」は、その「魔法」を不思議な儀式で解いたらしい。
という事は、その「魔法」を私にかけたのは、「前世のSさん」だったのでしょうか?
私は生前の家族の愛情をとうとう感じる事は出来なかったけれども、「魔法」が解かれて、「幸せ」になれる時がやって来ました。
今までの私は、籠の中の鳥だったのでしょう。
人はその「鳴き声(愛情)」で私を認識するけれど、私は「鳥として空を飛ぶ(幸せ)」を知らずにいました。
それが、「Sさん」の手によって、籠から出され、空をひとしきり飛び、そして、再び「Sさん」に戻り、肩の上で鳴いています。
「幸せの青い鳥」のように、実は、極簡単な「魔法」だったのでしょう。
ただ、「扉を開ける人」は、「永遠の伴侶であるSさん」と約束されていただけ。
鳥である私は、籠から出ても出してくれた「Sさん」から離れる事は無いでしょう。
だって、もう、「幸せ」だから。
ご視聴、ありがとうございました。