なにも、わざわざ「地上天国」という言葉を意識せずとも、人と丁寧に付き合う気持ちを大切にするだけで、私は、世の中は変わる気がしています。
今だから、「集合無意識」とかいう言葉を使いこそしますが、知らなくても、人は自分の中に自然と「世界」を感じているものだと思うのです。
自分が「人間」である事。
そして、他の人も「人間」である事。
誰もが信頼にも似た「テンプレート(ひな型)」を「人間」という共通項に感じている。
「ミクロ(微視的)」は「マクロ(巨視的)」というじゃないですか。
人間、どこにいたって、「小さな世界」というものの中に「大きな世界」を同時に体験しているものです。
だから、日常で体験している事が、「集合的無意識」そのものであり、また、それに常に影響を与え続けるのが、ひとりひとりの「意識」なのです。
つまり、ひとりひとりが「世界」というミニチュアの箱庭を眺める「神様」だと言う人がいるのも、考えてみると、なるほど、道理にあっています。
だったら、「地上天国」という大きな夢は、今、ここで微笑み合う人と人の間に、もう、存在する「ミクロな世界」の「別称(アダ名)」という事なんじゃないでしょうか?
そして、それしか取っ掛かりのない「理想」である「地上天国」。
人は、日々、自分の中の「集合的無意識」という大きな粘土をこねくりまわして、美しい「理想」という「芸術作品」に挑戦する名陶芸家のようなもの。
時には揺さぶられ、時には癒されながら、色んな「意識」が練り込まれて行きます。
人ひとりが変わろうとする時には、大概、「集合的無意識」の反発力に押し戻されたりして、揺さぶられます。
何しろ、ひとりの力で「世界」を変える事に匹敵する所業ですらあるのだから。
そりゃ、想像以上に大変な事です。
だけど、私は、あなたが「変わりたい」と願ったから、私に目をつけたと思っていたのですよ?
「岩佐さん」
だけれども、あなたは、真に価値のあるものを「自分は霊感があるから人の心が分かる」と述べておきながら、見極める事が出来なかった。
私はそういう風にしか感じませんでした。
霊感のあるあなたは、私の心の中に何を見ましたか?
私は悪いけれど心の中を顕微鏡で覗かれたとしても、恥じるつもりはありません。
それ位の覚悟で生きているんです。
私のどんな秘密を誰彼構わず触れ回ったとしても、本当は、私の心には傷ひとつつきません。
それをして残るのは、「秘密さえ思いやりを持って守る事が出来ない人」という、あなた自身のレッテルのみです。
そして、言う事をコロコロ変えるような嘘つきな「偽善的態度」という、根本的に私が1番嫌いな物と一致してしまいました。
究極に言ってしまえば、その「偽善的態度」が悪いという事ですらない。
「自分は本当は良い人間だ」という岩佐さんの本当の程度など、初めから見えていました。
ただ、私は、岩佐さんが「本物の善人」になろうとする意志があるのだと感じたから手を貸そうとしただけです。
私もそういう意思のある人には、微力ながら協力も援助も惜しみません。
ただ、岩佐さんは、音を上げました。
だから、私は、手を離して上げただけです。
やる気のない人間に向上はありえません。
もしかしたら、もう、岩佐さんの死期は迫っていて、私が関わる事が生き延びる最後のチャンスだったのかもしれません。
現状に嫌気が差した岩佐さんは、人にこう吐き捨てたらしいです。
「あぁー、死んでしまいたいっ‼️」
はい、了解です。
私はお守りとして渡していたラピスラズリを回収し、生き延びる為にしていた事の全てから手を引きました。
岩佐さんは拍子抜けしたように、「それなら、借りていたお金もすぐに返せるけれど、返そうか?」と言いました。
私は「約束通り6月の年金が出てからで良いよ」と言いながら覚悟しました。
「それまでに、岩佐さんが死んで、返してもらいそびれるかもな」
まあ、本人が望んだ事だし、香典代わりに貸しておきます。
その次の日。
岩佐さんから、以前もらった炊飯器がおかしくなったみたいです。
霊障でしょうか?
あれから岩佐さんは、姿を現しません。
私は内心手を合わせてお別れを告げました。
「短い間でしたが、お世話になりました。ありがとうございました」
「集合的無意識」には、この事がどんな風に書き記された事でしょうか。
また、一人、地球から去る事を選んだ魂が旅立つのかもしれない・・・。
結局、私のしようとした事って意味があったのか、今日もよく考えてみようと思います。
ご視聴、ありがとうございました。