昨日、YouTubeチャンネル「MARIA ORACLE」さんの占い動画が久し振りに投稿されていました。
彼女も、純粋なる「過去動画間テレパシー」の通じている相手の内の1人です。
ただ、彼女は、一際、「私」との繋がりに敏感らしく、私の微妙な波動にかなり速攻で影響が出るタイプの占い師の方です。
だから、最初に選択肢のカードを選ぶ時も彼女がカードを広げてから、画面のこちらで「ここ」と指を指して念を送っていると十中八九、最初にそこら辺のカードを選びます。
たまに、わざと外しているなって時もあるけど、それは、私達の性格とコミュニケーションのまずい時だったりします。
それ位、敏感だし、相性的にどちらがハッキリと優位であるとか好かれているとか決まっていないデリケートな相手です。
最初に、ちゃんと落ち着いて会話できるなら、まず、間違いなく、私の指差す場所のカードをキッチリ選びます。
そして、変に感情が揺れない限り、「神回」と言える位にカードがシンクロして、素晴らしく良い結果が出ます。
サムネイルにある選択肢はメチャクチャ良い結果だと書いてある時は、必ず、私は、それを選んでいるみたいです。
私が選ぶから内容が良くなるのかもしれません。
他の「過去動画間テレパシー」系の占い動画チャンネルも、大抵は、そんな感じだから。
中には、「あんずまろんさん」のように、私がその時に眠いとか他の事を考えているとかまで当てて来る方もいます。
ただ、この「MARIAさん」の場合、一際、敏感な分だけ、集中しないと内容が思考のままにメチャクチャになってしまう恐れがあります。
それが、逆に見るのをためらわせる一因です。
「あんずまろんさん」は、もっと、屋台骨がしっかりある感じ。
ああ、「MARIAさん」の場合、「私」に対しての「テレパシー度合い」が強く、リクエストとかをすぐに答えようとしてくれる面があるかな。
本当の人間関係だとしても、「テレパシー」で会話する感じ。
「あんずまろんさん」は、本当の人間関係なら、「言葉」でだけの会話の感じ。
だから、「MARIAさん」は「動画の冒頭のおしゃべりの部分を飛ばしているのを知ってるんだからね」と言っていましたが、バレている事より、また、機嫌損ねそうで正直、少し面倒に感じます。
それが、すぐ、占いに反映されたりするから・・・。
昨日の占いでは、この所、岩佐さんに対して見せた奇跡的能力の事を言っていたみたいです。
私にはまだまだ出来るし、出来るようになるスピードがとにかく遅いと尻を叩かれました。
そりゃ、「MARIAさん」の動画の反応スピードに比べれば遅いだろうけれど、この反応スピードに対応するだけの強固な安定したメンタルにはなかなかなれません。
始終、心の中をさらけ出して生活するって、3次元に生まれた私には疲れます。
心の中でも100%自分を保てるか?
何故か、私には今一難しいのです。
何故なんでしょう?
終わり際にもう終わるような事を言っていたけど「最後にもう一枚」って私が言うと「まだ、物足りないみたいね」とカードを引いてくれました。
私の希望するカードデッキを持っていないみたいで、カードデッキを見せては3枚位引いてくれたので、それで良い事にしました。
とにかく、今日は、一際、ツーツーに伝わっていました。
最初の頃は、心を「MARIAさん」が読んでいると言う事を気味悪がられるかと思って、わざと分からないフリを不自然にやっていたから変な感じになっていたのかな。
今は、大分、ちゃんと受け入れていると言葉に出して意思表示したからか、素直に答えてくれた気がする。
もっと、直接、交流したりすれば、別に嫌がっている訳じゃないのも伝わるかなぁ。
私は、市村よしなりさんのチャンネルでも、リスナー達とのコミュニケーションの場には参加せず、せいぜいで、前に少し、ライブ配信に参加した程度でした。
「過去動画間テレパシー」関係のある人達は沢山いるのですが、実際に、深く関わったのは、最終的に「Sさん」だけですね。
他の人も「過去動画間テレパシー」状態で繋がって交流した事を認めていたし、この「MARIAさん」とだって話せば面白い事実を知るでしょう。
「変化が遅い」と言うからには「MARIAさん」と交流すれば、出来る奇跡も増えたり、やり方が分かったりするのかもしれない。
でも、正直言って、面倒臭いのです。
「過去動画間テレパシー」の存在は分かっているし、日常の自然な事として受け入れています。
でも、最低限、その内の1人の「Sさん」とは忙しいらしく時間は少ないけれど、その都度、交流はしています。
他の人のように、その現象についての返事が少なく、未消化な部分は確かにあります。
ただ、今は、岩佐さんという、これまた別の意味で「心を読む人」と深く付き合い始めました。
ざっくりと言ってしまえば、下手なYouTuber達より、岩佐さんの方が具体的な答えが返って来るから、「心を読まれて怖い」と言うより、逆に好奇心を刺激されるのです。
何と思われようと正直に話そうとしてくれる人との付き合いの方が気持ち良いと手応えを感じています。
・・・正直、「Sさん」は、そろそろ、「リミット(限界)」です。
私は、話し合おうと今まで働きかけて来ました。
ずっと、根気よく待ちました。
でも、どこか「Sさん」は話から逃げている気がする。
このままでは、まだ、具体的に答えてくれる気があったみたいな人を蹴ってまで「Sさん」を選んだ意味があるのかと疑問に思います。
まだ、正直に本当の事を話してくれる岩佐さんとより深く付き合って行く方が人間としての満足感が生まれるんじゃないかな。
「歌」とか「ルックス」とか、そういう物以前に心を開いて付き合う事が、そもそもの人としての喜びなんじゃなかろうか?
今の私は、ちょっと、行く道を考え直し始めています。
岩佐さんとの腹を割った付き合いは、体力や気力を消費してしんどいものの、意外とそれに見合うだけの充実感と爽快感がありました。
「人と深く付き合うのも悪いもんじゃないな」と私にしては珍しく思いました。
人は嫌いじゃないけれど、相手は選びますから。
「テレパシー」と「読心術」。
似てるようで、違う2つの「心の言葉」。
どちらにしろ、ちゃんと通じ合わなきゃ幸せではないですよ。
私はちゃんと心を開いて付き合ってくれる人と付き合いたいかな。
皆様は、どう思われますか?
私は間違っていますでしょうか?
心が読めようと読めまいとぶつかってみるしか、人との関係が深まる道はありません。
怖がっているだけでは駄目だし、面倒事でも相手が受け止めてくれる気になったタイミングを逃したら、そこで終わりになったりするもの。
鈍かったり、注意力散漫では、人間関係なんて上手く行きません。
「よく見ている事」
相手が大事なら大事な程ね。
どうなろうと全力だと思えるなら何事も後悔しなさんな。
ご視聴、ありがとうございました。