「大峠」は、「4月27日」⁉️


「日蝕」の日が、「大峠」では無かったらしく、YouTubeのある動画は、そう、訴えていました。


そのチャンネルは、一度、登録したものの解説者が「天狗(てんぐ)」のお面をつけているだけに、どこか高飛車に感じ、嫌な感じがして登録を解除してありました。


でも、未だに必ず、オススメに出て来て、まとわりつくように脅して来ます。


予言書「日月神示」による解説動画です。


「日月神示」を扱う動画なら他にもあります。


チャンネル登録こそしているけれど、動画を見ていない「神人(かみひと)さん」のチャンネルもそうです。


「神人さん」も、「過去動画間テレパシー」で繋がれた相手でしたが、なんて言うか、もう一人いる「パーソナリティー(司会進行)」の他の話の部分は別に要らなかったから見なくなりました。


また、別のチャンネルでは「日月神示」の朗読がありました。


この「パラレルワールド」では、かなり有名で100%当たっていた「予言書」って事になっているらしい。


いわゆる、この「パラレルワールド」の「シナリオ」、または、「解説書」。


まんま「ゲームの世界」の「 バーチャルリアリティ(仮想現実)」って気がします。


私も昔、散々、漫画を読みあさり、テレビゲームを夢中やったけれども、夢の中でもゲームをやっている、その夢をみているような感じの現実だとよく思います。


「仮想現実」とは、単なる「夢のゲーム内にいる状態」に過ぎないという事でしょうか。


とにかく、次の「ゲームイベント」は、いよいよ「4月27日の大峠」って事です。


それには、今日、「4月13日」の過ごし方が鍵になると言っていた割には、具体的な事は、一切説明無しで、やたら、脅かしてくる。


正直、この類いのは、動画に限らず友人関係だとしても距離を置きたくなるタイプのものです。


うるさいのですよ、なんか。


はい、はい、「大峠」が来て大変な事が起こるかもしれない?


「神様のお仕置き」?


言うに事かいて、「お仕置き」って何ですか(呆)?


本当に「天狗(てんぐ)」っぽいなと思いますけど。


私は、宗教はやっていないけれど、神様が「お仕置き」するなんて、聞いた事がありませんよ。


それも、その人のチャンネルで言った事をやらない人(私⁉️)がいるからって。


お仕置きしたいのは、あなた様のお気持ちでございましょうよ(笑)?


彼もまた、例に漏れず、今や当たり前になりつつある「過去動画間テレパシー」で繋がっている相手だから「こっちは、見えているんだぞ」と脅していらっしゃるのでしょうね。


・・・何が、怖いか?


私は、「共同創造者」として協力して、歩み寄ろうとして下さる存在には、「過去動画間テレパシー関係」に過ぎなくとも、ちゃんと礼を持って接します。


「言う事を聞かせよう」⁉️


は、何様なんですか?


いけませんね、日本の古い神様方に有りがちなおごりですよ。


いわば、「天狗(てんぐ)」なんて、「神様」を通り越して「妖怪」に近い。


「産神様(うぶがみさま)」と共に進む為に神社にお詣りに来なさい?


申し訳ないですが、私は、神社と相性が悪いんです。


神社に詣って、良い事が起きた年は無かったので、初詣(はつもうで)にも行かない事にしています。


ああ、そうか。


「神人(かみひと)さん」は、「シャーマン(宗教的職能者)」で「エクソシスト(悪魔払い)」

の方らしいのですが、彼も彼の「ルーツ(祖先)」となる霊団と話す時に、最初、そんな風に拒んだらしいです。


日本の神様とかって、皆、そんな感じなのでしょうか?


そして、我々、日本人という種族もまた、そうやって神様ともめながら代々、歴史を受け継いで来たのかもしれませんね。


とにかく、「大峠」に何があるにせよ、私が怯(ひる)む事はありません。


他の動画は言います。


「この世は、集合意識で皆が思っている事が現実になる」


「だから、まず、ここにいる自分から意識を「ポジティブ(前向き)」に変えて、潜在意識に浸透させて、現実を「ポジティブ(前向き)」なものに変えて行くしかない」


「その代わり、自分の意識を変えれば、世界は変わる」


・・・今、私のいる次元では、「愛」、「思いやり」、「慈悲」、「いたわり」等々の私も推奨する善なる思考が表に現れて来つつあるのは確認しています。


反面、未だに詐欺らしきSMSも相変わらず来るし、副業関係のCM等の実状は、粗悪なものらしい。


tik tokの動画にも、まだ時々、闇の側らしき色彩のパワーが伝わって来るものを見かける。


本当に「善なる者」だけの世界なんて本当はバランスが悪いのかもしれない。


・・・でも、私は、思います。


若い頃に見ていた清浄な世界が続いては、何故、いけないのだろう?


大人になって、どろどろとした世の中の

裏側を見ました。


でも、なんとなく知っていた、その世界では、何故か、皆が泣いている。


皆が泣いているのに、何故、変えられないんだろう?


誰だって変えたいんじゃないのかな?


皆が当たり前に共存しながら、あの、若い頃、清浄だった世界の空気の中に生き続ける。


その方法を私は、今、知っている。


そんな気がしました。


まだ、100%清浄な世の中に変えてしまう事に何故かためらいがあります。


大切な何かも一緒に失ってしまう気がして。


「出来るのかな?」とも思うのですよ。


そんな世界が無かったから。


でも、きっと、それこそが「地上天国」。


「住み分け」で良いと思うんですよ。


「悪」や「闇」は、長い間、分離している間にひとつの「意識」として確立してしまいました。


共存は出来ないかもしれないけれど、せめて、相反する者達と世界を分かつ事で無駄な争いはなくなると思うのです。


もしくは、「愛」を持つ側が、「愛」を持って接する事で、「悪」や「闇」に化学変化を起こしてしまうか。


共存可能な新しい物に生まれ変わらせる。


それこそ、前のブログで書いた「ミトコンドリア」の「オートファジー(リサイクル)」です。


マイナス要因を「作り替えて」しまえばいいのじゃないですか?


それは、人の「反応のパターン」を変えれば良いのかな。


「こう来たら、こう返すでしょう?」っていう、そのそもそもの争いのパターンを「愛」の視点から変えてしまう・・・。


私には、それが出来る気がします。


なんていうか、私には、客観的な視点から相手のホントの所っていうものを「スキャン(画像などを読み取る)」するみたいに読み取れるんです。


一種の「エンパス(共感力の高い人)」なのかな。


聞いた事が無くても細かいホントの所や本人ですら気付かない解決策などが自分の中に流れ込んで来るのです。


私は、常々思っているのですが、「愛」は「賢さ」です。


「愛」があると「知恵」も湧いて来ます。


何故、他の人にそういうのが分からないのか考えた事がありました。


私は、偽りのない「本当の自分」で生きているからかな。


つまり、変な物に目や心が歪められていないから、「心の視力」が良いのです。


真っ直ぐ、人の事が入って来るけれど、どこまでが自分の事で、どこまでが人の事なのかは、自分の事を知っているから分かります。


世の中には、「自分自身の心」さえ分からない人が沢山いるんだな。


何でも勉強ですよ。


沢山勉強すると、勉強した事の無い事まで見えて来るようになるんです。


いわゆる、「その道のプロ」になるという事です。


人間の「脳味噌」も「量子コンピューター」みたいなものです。


「ビッグデータ」を日々、更新して、世の中を作っています。


しかも、自分がそうやって更新して行くと、それが「集合意識」へ流れ込んで、「世界」が変わる。


こうやって毎日書いている「ブログ」は 「プログラミング」です。


「集合意識」に書き込んでいる作業。


私の仕事ではないけど続けているのは 、そういう理由です。


少なくても「ライフワーク(人生の目的達成の為の仕事)」です。


「地上天国創生」


とりあえず、今はそこが 「集約地点」です。


そこに向かって 、日々、 分析し 、勉強し、 まとめ上げて「高次元のフィールド(領域)」から指示を出しています。


「ブログ」は「高次元の存在」に対しても有効です。


伝わり切れない所を言葉で具体的に 説明してみせるということです。


毎回、思うけど私には神様にでも読めない位に深い 自分の内面があるらしいです。


多分、それが この世の 本当の姿 なんだろうな って思うことがあります。


世界にあふれている 色んな表現を見ていると 「それは心なんだな」って思うて言うか。


形のない 「心」が形になってるのが「世界」なんですよ。


それは 散々 学んだことだけど「本当だな」って思うって言うか。


「三重苦のヘレン ゲラー」が初めて 「言葉」というものを 知った時の「電源的な 感動」というか 、「実感」というか 、「ショック」と言うか。


そういうものに近いのかもしれない。


「知識」が「自分のものになる」っていう瞬間です。


私はそれを仮想通貨の勉強で 得ました。


ハッとしたっていうか。


勉強に集中していく毎に 世の中の 「気概(きがい)」が 高まっていくというか。


全てが連動している。


「 テレパシー」という存在の法則みたいに。


「繋がっている」っていう感覚です。


私は今日何か新しい 感覚に目覚めた気がします。


そういう意味では確かに 13日 は大事な日でした。


おっと 、今日はもうこんな時間です。


皆様は、とっくにお出かけですね。


私もそろそろ 遅い朝食を取ります。


今日もありがとうございました。


また、よろしくお願いいたします。