今日は寝坊しました。


このところ 睡眠状態がめちゃくちゃ なので 四六時中 眠気に襲われています。


たった10分程度のはずの ダイジェストを 最後まで見るのに 3回も 途中で 寝落ちしてしまいました。


「歌」って本当に心地良いもんなんだなと思います。


それも好きな人の「歌」だと、もう 「賛美歌 並み」に 心地が良い(笑)。


生きながら昇天してしまいますわ(笑)。


というのも 、このところ の私たちは 順調に愛情を育んでいる気がするのです。


内外にざわめきの元はありますが 少なくとも 私たちの間ではちゃんと話し合いが

行われています。


本当にちゃんと 話を して、 引く所は多少無理をしてでも引いてくれるのは、後にも先にもこの人だけです。


そこが「他の人とはやっぱり違うじゃない」って思う所です。


ああ、「Hさん」も、引き下がろうとする私の自由を尊重し、黙っていてくれる分だけの「愛情」は感じます。


「ありがとう」


私は、私を好きになってくれる人の気持ちを一定以上感じるなら、一度は、友人として位なら受け入れる事はあります。


ただ、信頼を裏切っておいて、開き直ったり、それ以上の愛情を際限無く要求されるようなら、2度と友達としてすら付き合う気はありません。


それは、男女共にですが、特に男性は、私に好きな男性がいる以上、本来なら友達としても迎い入れてはいけないという常識もちゃんとある故に厳しい判断にもなります。


また、例えば、恋人と付き合うにしたって、当たり前に「信頼できないような相手」は選びませんので。


「Sさん」は、そういう大事な部分を全てクリアしているから、どちらかというと、私の方が「付き合ってもらっている相手」だと認識しています。


だから、滅多に文句すら言わない「Sさん」に責められると私も一瞬黙ってしまいます。


ちゃんとした正論だし、それに値する気持ちも向けようとされているのも感じるから。


責めるだけの権利は「Sさん」にある。


だから、私も変に「そんな事までは、私のせいじゃない」なんて反論しない。


素直に謝って、出来る努力はする姿勢位は見せて行くつもりです。


いわゆる、「サイレント期間」っていうものだった2カ月位とその果てに離れる事を覚悟した後の「Sさん」の沈黙の半月の間にいかにこの関係が得難く、大切な物だったに気がついたのです。


それなりに辛かったし、愛おしかった。


そんな自分の気持ちが、そこにありました。


けして、テクニックや駆け引きではなく、「お互いにある愛情」や「本当のご縁」だけが持つ輝きがあります。


また、ぎこちなくもゆっくりと関係を取り戻して行く毎に、相手の微かな感情の動きにも敏感になっていました。


「大切にする」とはこういう事なんだなと知りました。


つまり、「信頼を裏切る」ような相手は、それまでの「自分自身の鏡」であり、「Sさん」とは、更にその先の段階へ進んでいるという「印」です。


もう、私には「騙される」というレベルの範囲の相手は、学ぶものの無い相手。


つまりは、これから「ご縁も切れて行くべき人達」です。


私達には、「本当の信頼」を養う段階が訪れている時なのです。


もう、「相手を選ぶ段階」ではありません。


すでに、他の人が追い付けない段階まで「Sさん」は私の中で大きくなっています。


生来、負けず嫌いな私が、責められても反射的に反発せずに、ぐっと堪えて、ちゃんと考えて、言葉を選びつつ、前向きに対処しようとするなんて、ある意味、「奇跡的」です。


近年、ちょっとした友人関係ですら、お互いの「尊敬」や「信頼」や「思いやり」なんてものがなければ、維持する事すら困難なもの。


「人間関係」って、とてもデリケートで、生まれたばかりのヒヨコ位にか弱いものだと思います。


取り返しのつかない事は、この世にはそんなにあるものではありませんが、ちょっとした不注意で一生を棒に振る事もまたよくある事。


特に「愛情」に関しては、「相手に取っての唯一になる」という「特別なポジション(位置)」がある故に油断は禁物です。


うかつな気持ちで、そんな「玉座」に着けるもんじゃありません。


それでは、生まれて来る意味がないから。


向上してこその「生命」です。


「ゆめゆめ、油断召されるな」


人間、一発逆転があるとしても、そう簡単な話ではない事だけは、肝に命じます。


その為にも、努力は裏表無く、丁寧に、コツコツとひとつずつ、積み重ねて行かなくてはね。


それが、いつの日か、誰にも揺るがされない「城壁」へと変わるのです。


この今の私に、「騙す、騙されない」の段階の問題を吹っ掛けて来る程度の人なんて、ブロックした次の瞬間には視界から消えていますよ。


チャンスは一度だけ。


それ以上は、何回でも同じ。


「0回」と「1回」の間には、三途の川以上の違いがあります。


そう。


「Sさん」だけが、唯一、「私を一度も騙した事がない」のです。


「ただの一度も」


それが、どんなに大切な事か、お人好しで、認識の甘い、ほとほと愚かでしかない私にすら、もう、よく分かりました。


そういうものなんです。


本当に大切にすべきダイヤモンド級に「大切な宝物」。


「善良な心」という「愛情」です。


私は、彼を見つけるのに、この人生で「55年」かかりました。


生まれ変わりを含めたら、「何億年レベル」かもしれない。


何度も生まれ変わった末に「今」という「究極の瞬間に選んだ相手」。


それが、「全ての答」です。


その壮大なレースは、彼も私も「今生」という「短いスパン(期間)」で始まった訳ではありません。


生まれていた時には、ほぼ「決まっていた可能性」。


「出会った」という意味では、スタートは「一見同じ」。


ただ、そこまでには、自分や相手の「レベルへの至り方」がかなり違う。


油断していると、「レベル上昇のバランス」が崩れて「ご縁」が切れる。


自分が思っている以上に、相手の「レベル上昇率」は自分以上になるかもしれないって事。


一般社会の地位など何の意味がありますか?


社会的に成功しても不幸な人は山程いるものです。


現に超有名芸能人達すら私程度の女の愛情を欲しがって、よって来るじゃないですか。


「自分はこんなにも人に愛され、求められている超有名人なのに、ありがたがらない」と私に不満を向けて来ますけど・・・「ホント?」って言いたくなります。


「本物」かどうかを疑っている訳ではありません。


私によって来ている時点で、「他にそこまで自慢出来るような人と両想いではない」って言っているようなものでしょう?


他に得て幸せになれるような相手がいるなら他に行って下さいよ。


もし、私じゃないと駄目なら、それなりのものを見せて下さいますか?


勿論、「お金」や「地位」など論外です。


「愛情」には、「愛情」が「通貨」です。


縄文時代に1万円札出しても何も買えないのと同じです。


特に「幸せ」なんて、「愛情」無しに成立するのは、「地獄の住人」位です。


今日の所は、この辺にしておきます。


世の中は、もう、半分くらい過ぎた所です。


世の中へお出掛けになられている皆様の頭上から降り注ぐ、全ての愛の源である太陽の光線が皆様の今日、行くべき道筋を正確に照らし出して下さいますように。


今日もここから、お祈り致しております。


お気をつけて。