「Magic  channel(1)」

 

 B'zのジャケットが、くすぶりながら燃えていた。30cm位の長さがある缶の中で、メラメラと炎の舌が写真を舐めていた。こちらを見つめる稲葉の顔が、半分位になってジリジリと黒い消し炭に変わりながら缶の底の方に横たわって、その缶の中に落としていった。気味悪い位に輝いている星空の下で、一人、夏美は「RUN」「BREAK THROUGT」「RISKY」・・・今まで集めたCDのジャケットが、残らず灰になっていく。夏美は、じっと、その怪しげな炎を見つめ続けていた。

 

 異常に気が付き始めたのは、去年の末、残りわずかな時だった。雪が多く、とても寒い冬だった。それで抑えていたものがいっせいに突き上げて来て、夏美本体を壊してしまおうと企んでいるように思えた。病的で、降り積もる雪が病院の壁の白さを連想させた。いつまでも溶けきれない雪さえもが、うっすらとアスファルトを包む景色からいつもと違う雰囲気を醸し出していた。奇妙な事に今年の冬は、夏美にとって初めて見るそれのように思われた。毎年、年の数だけ見ていたはずなのに。

「寒い・・・」

 開け放たれた窓から、冷気を含む空気が忍び寄って来る。しかし、夏美は窓を閉めようとせずに外の景色を見ていた。舞うように大粒の雪が降っていて、薄いレースのカーテンを下ろしたみたいだ。街全体がまるで白いレースの服を着て眠っている赤ん坊に見える。暖かい部屋の中のTVからは、賑やかなクリスマスソングが流れて来る。まだ、クリスマスには、いくらかの日が残っていた。しかし、TVはお構いなしにクリスマスの特別番組を流している。その音楽を聴いていると、夏美は自分の耳がおかしくなっているのではないかとよく思った。全ての音が、どこか遠く、そして、凄く近い所、自分の身体の中から聴こえて来るように感じた。そう、全ての異常は、その聴力からだったような気がする。

「いらっしゃいませ」

 夏美は実家の店で働いていた。小さなスーパーマーケットだった。何故か、ここの所、朝起きた記憶が無い。気が付くと、いつも外は暗く、まるで重く暗い雪の世界に閉じ込められた囚人みたいだ。忙しかったからかもしれない。それでも、何か異変が起こっていると感じた。夏美はレジをしながら、店の中に流れるゆうせんの音楽にぼんやりと耳を傾けた。

「聴こえる?僕の声が」

 それは、たわいない音楽の歌詞だった。いや、そのはずだった。夏美は、無意識にうなずいて、ハッと我に返った。何をしているのだ。これは、ただの歌ではないか。その日は客も少なく、ただ、自動ドアの外に見える景色だけが妙に頭に残った。夏美はホッとしてため息をひとつついた。

 夏美の部屋の窓辺には、クリスマスによく飾る赤い実と緑の葉を持つ植物と赤い薔薇の花が吊るされていた。薔薇の花の方は、まだ瑞々しい美しさを保っている。いつからか、夏美はそんな部屋で何もせず過ごす事があった。夏美は持て余している時間を埋めようとするかのようにB'zのCDを聴く事が多くなっていた。特に「BREAK  THROUGT」が気に入っていた。気に入っているというより、殆ど、のめり込んでいた。カセットデッキから、いつものように音がこぼれ始める。

「Rain 砕け散っているアスファルトで・・・」

 曲と共に色々な記憶が蘇って来る。東京での生活、人々、景色・・・。それから、浮かび上がる様々なイメージ。静かな夜は、物思いに耽る夏美とB'zの音楽だけを残して、全てを消してしまったみたいに思える。夏美は意味もなく突き上げて来る不安と恐怖に身を震わせながら、ジャケットの写真に見入っていた。

「Everynight  you  need  somebody  to  ride」

 両腕を広げた黒装束の稲葉が写真の中で歌っていた。隣では青いギターを抱えた松本が真っ直ぐこちらを見ている。

「そろそろ忘れたほうがいいよ」

 それは、夏美に向けられた言葉に思えた。胸が少し痛かった。一体、どの記憶のせいなんだろう。夏美は沢山の思い出が詰まっている記憶の扉を開いて探索を始めた。

 思い出の一つ一つが、目の前で映画みたいに動き出す。夏美は少しばかり記憶が良すぎた。通り過ぎてしまったシーンでも、ふとした時に、まるでカラー写真を眺めるように目の前に浮かんで来る。B'zの曲に誘われて、近い過去から遠い過去へとそのフィルムを巻き戻して行った。

 中学3年生の夏。夏美は某芸能プロダクションの書類審査に応募した。合格通知が来て、2次審査が大阪で行われる事になった。夏美の父親は、とても厳しい人だった。そのため、父親の目を盗んで母親に相談した。夏美は、まだ一人で県外に出た事は一度も無かった。アルバイトもした事がなかったので、お金も無かった。しかし、夏美は一人でも大阪に出向くつもりだった。

「お父さんに相談しないと・・・」

 母親は最悪の場合を口にした。反対されるのは分かっていた。普段から芸能界はヤクザな所だとこぼしていたからだ。夏美は出来る事なら父親には内緒にしておきたかった。そこに、偶然、その父親が姿を現した。

「わしは、許さんぞ」

 想像通りのセリフだった。すぐに言い争いが始まった。父親に黙って応募した事や大阪に一人でオーディションに行こうとしていた事を散々叱られた。夏美は裸足で家を飛び出した。そのまま自分が通っている中学校まで歩いて行き、鉄棒の側で思いっきり泣いた。暗い校庭に霧雨が降りしきっていた。時々、横の狭い道を通って行く車のヘッドライトが夏美の姿を闇に浮かび上がらせた。暫くすると、母親が夏美を探しにやって来た。母親に説得されて、家に帰って来ると、父親は黙って背を向けたまま酒を飲んでいた。この先、酒の量が増える事になるのだが、この事を思い出す度に父親が死んだのは、自分のせいだと思わずにいられなかった。

「高校に合格したらね」

 家出未遂に肝を冷やした母親は、そういって夏美をなだめた。約束通り、高校に入ると、早速、様々なオーディションを物色し始めた。とりあえず、月2回、通える範囲にあるタレントスクールのオーディションを受ける事にした。書類審査を通過して、金沢でのオーディションの日が来た。雪がちらつく冬の最中の体験だった。夏美は高校の制服に紺のコートを着て出かけた。

 オーディションは、デパートの5階のホールで行われた。

「次、115番から120番まで横一列に並んで」

 夏美の番が来た。受かっても落ちてもこれが最後のチャンスだった。そういう約束なのだ。紺色のブレザーを自分の座っていた椅子にかけて、ベスト姿のまま、前に出た。

 横に長いテーブルを挟んで、3人の審査員が座っていた。真ん中には、TVカメラが一台置いてあって、他のホールにもその状況の映像を流しているらしかった。目の前にも一台カメラが置いてあって夏美の顔が映し出された。元来、引っ込み思案の夏美は、この上なく緊張していたが、何故か表情には出なかった。心臓は早鐘のように鳴っていた。

「左から順番に、住所、名前、年齢、それと曲名を言って下さい」

「高岡市、有峰 夏美、16歳、「北ウイング」」