「幸運体質」ってあるらしい。

 

私が主にそうみたいだからなんだけれども、いつも、必要な時の前には、お金が臨時で集まって来る。

 

まあ、結果的には使ってしまうのですけれども、そういう風に人生の節目にはお金が集まって来て、いつもと違ったイベントを体験して来た。

 

だからもあって、とりわけ、私の人生は変わった大きな体験がいくつか起こっている。

 

個人的なプライバシーに関わるので、その詳細には言及出来ないのですが、振り返ってみると概ね私は「幸運体質」だったと思います。

 

今でもそうだと思いはします。

 

どこか、「アゲマン」的な気質もありますが、そんな人は、世の中には意外と沢山いるものです。

 

だから、私がそうであったとしても、胸張って言う事でもありません。

 

例え、過去に世界レベルの成功をした人達何人かと関わっていた位のものだとしても・・・です。

 

普通の「アゲマン」がどれ程のものかは知りません。

 

ただ、私位の経歴をいくつも持っているような「アゲマン」ってそんなにゴロゴロいるものなのでしょうか?

 

疑問です・・・。

 

私自身の成功体験は、自分自身が今まで社会的な表に出る成功をどこか望んでいない部分があった為に、結果も個人的で世には知られない位置であり続けていました。

 

リアルタイムで実証して、ビビられた出来事も実際ありますので、やっぱり、私は基本的に「出る杭は打たれる」的世の中だった時代には成功なんて望まない人間でいようとしたのでしょうね。

 

分かります。

 

私、面倒臭い事は好きじゃない。

 

嫉妬、妬み、恨み、執着・・・などなど、人の陰の感情に付き合うのは、例え、成功の裏返しだとしても、御免だと思います。

 

実際、youtubeなどで表に出た方の中には、コメントで中傷されるのが嫌でコメント欄を封鎖したり、ラインで陰気な言葉をぶつけて来る人を全面的にスルーする方もいるらしい。

 

そういう私もTwitterで集中的に否定的なリプが集まった事があり、流石に、何ヶ月もTwitterを離れざるを得ませんでした。

 

成功、表舞台には、そういう裏の側面もあるのです。

 

そりゃあ、いくら「幸運体質」だとしても、全部は避けられない。

 

全部、避けられるなら生まれて来る意味がないとも聞きます。

 

確かに。

 

そんな私の「幸運体質」もいよいよ頂点を極める時が来たのかもしれないなと今、思っているしだいであります。

 

人に施したり、善行を行ったりという普通な努力は致しますが、私は必ずしもそれが幸運に繋がるとは本当は思っておりませんし、そんな下心のような行為が本当に幸運に繋がってくれると思いますか?

 

私は思うのです。

 

本当に純粋な意味で、人が人として価値のある行き方や考え方が出来る時、人は本物の「幸運体質」になれるのではないだろうかと。

 

そして、やっと、そこに到達する日が近づいて来ているのではないかなと。

 

もう、そこには、人のネガティブなど気にもならない自分が存在しているらしい。