最近の“米騒動”、ご存知の方も多いと思います。


ニュースでお米の値段を見て、思わず「えっ…ほんとに!?」と声が出ました。

30キロが2万円、いや3万近いものまで…。

静かだけど深刻な“騒ぎ”ですよね。


そんな中、我が家には義理の両親が残してくれた田んぼがあります。

自分たちでは作っていませんが、信頼している個人の農家さんにお願いして、維持管理とお米作りをしていただいています。


今年は30キロを7,500円で親戚に分けました。

「少し高くなったな」とは思っていたけれど、世の中の価格と比べてみて、あらためてありがたさを感じました。


でもその一方で、こうも思うんです。


親が残してくれた「ありがたいもの」って、いろいろあるけれど、

全部が素直に「ありがたい」と言い切れるかというと…

そうでもないものも、正直あります。




たとえば、現金。

もちろんありがたい。感謝もしています。

でも私はなぜか、使えずにしまったままになっていて。

「大切にしすぎて、どう使えばいいのかわからない」

そんな気持ちがあって、結局そっと通帳に眠らせてしまっています。


そして遺品。

タンス3竿分の着物や反物。とても素敵で、手に取ると当時の暮らしが浮かぶようで…。

でも、実際にはそんなに着る機会もなくて。

どう整理したらいいのか、迷いっぱなしです。


そして一番手を焼いているのが「庭」。


バブル時代の夢が詰まった、立派すぎる和風庭園。

※そう言うとめちゃくちゃ豪邸なイメージになっちゃいますが…田舎なんで、周りは普通なんです(笑)


池と滝は思い切って撤去しましたが、大きな石はそのまま、松の木はワサワサ。他の木々もどんどん育って、手がつけられないほど元気です。


風が吹けば葉っぱが舞い、松ぼっくりがゴロゴロ。

季節ごとに山のような落ち葉。掃除してもキリがありません。


さらに、下が車庫になっている鉄骨の離れ。

骨組みはしっかりしているけれど、階段はもうボロボロ。

そして中には…やっぱりぎっしり詰まった荷物たち。




そんなふうに、ありがたくも悩ましい「遺されたもの」と向き合いながら、

私は今、こんな想いを持つようになりました。


「この家、サロンにできたら…」


義両親が住んでいた空き家。

和の趣が残る落ち着いた空間。

しっかりリフォームは必要だけど、誰かの癒しの場所に生まれ変わったら素敵だなと感じています。


お金で解決できることもあるけれど、

人の暮らしや想いが詰まったものは、そう簡単には割り切れない。


だからこそ、今。

未来の家族が困らないように、

そして、自分自身が納得できるかたちで、少しずつ整えていきたいと思っています。





心にそっと余白を。



自分を大切にする時間を届けている、髙須かおりです。

最後までご覧いただきありがとうございました。