続けるってやっぱり大変だ。
ブログが途切れてから数ヶ月が過ぎ
2018年も終わろうとしている。

久しぶりに、感じたことを書いてみる。

次男坊の高校受験まであと2ヶ月ほど。
ストレスで肌の蕁麻疹が悪化して
痒みと戦いながら勉学に励んでいる。

もともと呑気な親子だから
3年生の秋まで塾もいかずに
部活や遊びを満喫して過ごしていた。

そしてそれを二人とも後悔していない。

ところが三者面談も頻繁になり
長男坊と同じ高校を志望校として
自分で決めて提出したため
のんびりもしていられないと
愕然とする瞬間が何度も訪れた。

希望している高校に5教科の
合計が100点以上足りていない。

偏差値ってやつも10くらい足りない。

ということで面談のたびに
担任は冷め切った表情で
「どういうつもりですか?
どうなっても知りませんよ」
というスタンスでランクが
だいぶ低めの高校をすすめる。

面談中、私は特に意見も述べず帰り道に
「自分でしっかり考えて決めればいい。
 先生やまわりの人の意見は参考にしても
 最終的には自分で決めることが一番大切だ。」
と伝えてきた。

頑固で自分の好みがはっきりしている長男坊は
高校も大学も誰にも相談せずに
たった1つに決めて
滑り止めさえ受けずに
一点集中で塾へも行かずに
突破してきた強者だ。

それに比べて次男坊は
よりマイルドで優しく
幼い頃から自分の意見に
あまりこだわらなかった。

勉強もさほどのキレがあるわけでもなく
自称「俺は平均点の男」と笑う。

だから、志望校を決めるという今
自分が「ココへ行きたい!」
というより兄貴が楽しそうだったからとか
父親によく「あの高校は、いいぞ」
と言われ続けてなんとなくで
希望している感が否めなかった。

そして現実の成績は
まったく届いておらず
担任は「よく志望するよね」
という表情を隠さない。

ただ、私が引っかかっている点は
本当に次男坊はその高校に行きたいのか
本当はあまり考えずに兄貴の学校を
書いて提出しているんじゃないか
ということだけだった。

だけど、自分でそう希望して
書面に書いて提出している以上は
母親がどうこういっても仕方がない。

とにかく、時がきて自分で選択できるまで
見守ることが私のするべきことだと
腹をくくっている。

高いところを目指して頑張って
最後にランクを下げたっていいし
仮に滑り止めの高校に入学したとしても
彼なら楽しく過ごせると信じている。

親として少しでも偏差値の高い
いわゆる進学校と呼ばれている高校に
子供が入学できることは
イヤだという人間はいないだろう。

でも、本当に私にはどこでも良いのだ。

彼が自分で決めて、
自分でそこを目指して
歩みを進めること
そのことそのものが
何よりも尊いことだ。
なんなら結果よりも、だ。

きれいごとだといわれるかもしれないが
本気でそう思っているし、
本人にもそう伝えた。

人生は選択の連続だと
本当にそう思う。

どんな選択をしても正解不正解はない。
選択後の過ごし方でいかようにもなる。
大事なのは自分で選ぶことだ。

まだ未熟なのだから、と
親が口だしすることも
もちろん不正解ではないのだろう。

私がこんなことを断言できるのは
私自身が自分で高校を選ぶことが
できなかったから。
さらに、にも関わらずその高校で
素晴らしい出会いを経験し
自分らしい高校生活を送ることが
できたからだ。

まず、なぜ選べなかったのか。

父の仕事の都合で
高校入学のタイミングで
引っ越しをしたためだ。

新たな土地での高校の情報はなにも無く
ただ新居から近いという理由だけで
高校の第一希望を決めなければならなかった。

しかも、信じられないかもしれないが
引っ越し先の市では当時
公立高校の平均化を保つため(?)
クジなどによって市が受験生たちの進学する
高校を決めるということで
編入試験に合格した私は
名前も初めて聞く
どこにあるのかさえわからない高校に
入学することが決められたのだ。

本当に今考えるとあり得ないシステム…。
もちろん後年公立高校のレベル低下により
廃止されたようである。

はじめは、悪夢のように感じられたけれど
3年間過ごしてみれば大切な友人にも出会えた。
かけがえのない淡い初恋も味わった。

結局、なんの後悔もない。

だから。どこへいっても
自分次第だというのが
骨身にしみている。

ただ、勉強に関しては
もうちょっとレベルの高い環境であれば
もうちょっとマシな学歴になったかも?
とは思っているけれど。

とにかく。
そんなわけで、私は
本当にどこの高校に行っても
彼なら大丈夫だと思っているのだ。

まあ、私立は高額だから
公立でお願いね。
とは言っちゃってる。
許せ、次男坊。

To be continued…